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2021 Fiscal Year Research-status Report

植民地朝鮮における言語ナショナリズムの展開-大イ宗教と朝鮮語学会との関係を中心に

Research Project

Project/Area Number 20K01008
Research InstitutionRitsumeikan University

Principal Investigator

佐々 充昭  立命館大学, 文学部, 教授 (50411137)

Project Period (FY) 2020-04-01 – 2024-03-31
Keywords大イ宗教(檀君教) / 羅喆 / 孫秉煕 / 金教献 / 柳瑾 / 周時経 / 金木斗奉 / 朝鮮光文会
Outline of Annual Research Achievements

本年度は、大イ宗教の創設者である羅喆と旧韓末に天道教を創設した孫秉煕との関係について学会発表を行い(震檀学会2021年度秋季学術大会)、その成果を学術論文として公刊した。また、大イ宗教に入信した朝鮮人学者たちが1910年代にどのような朝鮮語研究を行っていったのか研究を行った。
現在までのところ、以下のような事実を明らかにした。大イ宗教は1914年に教団本部(総本司)を中国吉林省内白頭山麓の青湖に移転した。その後、朝鮮内の教団組織は南道本司として維持され、金教献(羅喆の死後に第2代教主となる)と柳瑾によって主導された。柳瑾は旧韓末期に皇城新聞の主筆や社長をつとめた人物で、徽文義塾塾長、桂山学校校長、中央学校校長などを歴任した言論界・教育界の重鎮であった。また柳瑾は大イ宗教創設当初からの幹部であり、1914年には教団最高位階の尚教となっている。
1910年代に崔南善を中心に推進された朝鮮光文会の事業は、金教献や柳瑾など大イ宗教幹部の支援を受けたものであった。そのために朝鮮光文会の事業には、周時経やその弟子たちも参与した。三・一独立運動の後、周時経の門下生を中心に1921年徽文義塾内に朝鮮語研究会が組織され、これが1931年に朝鮮語学会と改称された。徽文義塾は大イ宗教徒の柳瑾が校長をつとめた学校であり、また同研究会の設立には張志暎・李秉岐ら南道本司に所属する大イ宗教徒が関与した。さらに朝鮮語学会は朝鮮語辞典の編纂を目指したが、その事業は1910年代に周時経と金木斗奉を中心に朝鮮光文会で着手された後、成果を得ることができずにいたものであった。
朝鮮語学会の活動は朝鮮語に対する自覚・復興という独立運動的な性格を帯びていたが、その理由の一つとして1910年代における大イ宗教系統の民族独立運動と密接に連携したものであった点が考えられる。

Current Status of Research Progress
Current Status of Research Progress

3: Progress in research has been slightly delayed.

Reason

これまで大イ宗教の創設過程と基本教理、および経典・教書類に関する研究を行い、それを単著として出版した(『朝鮮近代における大イ宗教の創設:檀君教の復興と羅喆の生涯』明石書店、2021年)。本書の刊行は、大イ宗教に入信した朝鮮語研究者たち、とりわけ周時経の活動を考察する上で基礎的な研究となる。1910年の韓国併合によって「国語・国文」という名称が使用できなくなった後、周時経は朝鮮語のことを「倍達文(ペダルクル)」と称するようになったが、これは大イ宗教で唱道された「倍達民族」史観によるものである。前掲書では、「倍達民族」概念の形成過程を詳細に辿りながら、歴史学・文学・言語学の分野でこの民族概念が普及していった事実について明らかにした。
また周時経の弟子たちも大イ宗教に入信し、大イ宗教の民族思想を求心点として朝鮮語研究を行っていった。これに関して前掲書では、特に周時経の首弟子であった金木斗奉が大イ宗教の信者であった事実を明らかにした。1914年に周時経が死去した直後、同年九月学期の朝鮮語講習院の講義は金木斗奉が担当した。このことから金木斗奉が、事実上、周時経の第一後継者であったことがわかる。その一方で、金木斗奉は大イ宗教の幹部でもあった。大イ宗教の創設者である羅喆が1916年に黄海道九月山三聖祠で自決した際、当時、大イ宗教の最高位階である「尚教」の地位についていた金木斗奉が首席侍者となっている。
その他、前掲書では、旧韓末における朝鮮語研究が「檀君教イ布明書」に活用されている事実や、旧韓末期に朝鮮語研究の分野を開拓した池錫永が檀君教の信徒となった事実などについて明らかにした。

Strategy for Future Research Activity

次年度は、1920年代を中心として、大イ宗教の国内支部であった南道本司の活動と朝鮮人学者との関係について考察する。1910年代の武断統治期において大イ宗教は朝鮮総督府の厳しい弾圧と取締りを受けた。1920年代になると斎藤総督のもとで文化政治が行われ、それまで公的な活動ができなかった大イ宗教南道本司が社会的な活動を展開するようになる。まず朝鮮語学会の前身である朝鮮語研究会が、1921年に張志暎・李秉岐ら南道本司に所属する大イ宗教徒によって組織された。
また、大イ宗教徒の柳瑾が『東亜日報』の創設に尽力した関係で、『東亜日報』は大イ宗教を支援する言論活動を大々的に展開した。特に南道本司に所属した権悳圭は、1920年代前半に『東亜日報』を通じて檀君を求心点とする朝鮮語啓蒙運動を推進した。
さらに1926年には朝鮮語研究会が主体となって「カギャの日(後の「ハングルの日」)」が制定された。この時期、1928年1月に『偉大な光(ハンビッ)』という総合雑誌が南道本司から刊行された。本誌の編輯兼発行人は朝鮮語研究者の李允宰がつとめた(第3号まで)。以上のような観点から、大イ宗教南道本司と朝鮮人言語学者との関係を調査して「カギャの日」制定に対する大イ宗教の関与について明らかにする。

Causes of Carryover

今年度はCOVID-19の感染拡大という事態が発生したために、当初予定していた海外での現地調査を実施することができなかった。そのために、結果として旅費および現地での協力者に対する謝礼金などに差額が生じた。
次年度では、COVID-19の感染状況を考慮しながら、今年度予定していて実施できなかった現地調査や資料調査を行っていく。そのために発生する旅費や現地での協力者に対する謝礼金などに経費を支出する予定である。

  • Research Products

    (2 results)

All 2021

All Journal Article (1 results) (of which Peer Reviewed: 1 results) Presentation (1 results) (of which Invited: 1 results)

  • [Journal Article] 「旧韓末における日本での孫秉煕と羅喆の出会い:『要視察外国人挙動関係雑纂』の記録を中心に」(原文は韓国語)2021

    • Author(s)
      佐々充昭
    • Journal Title

      『震檀学報』

      Volume: 第137号 Pages: 223-253

    • Peer Reviewed
  • [Presentation] 「旧韓末における日本での羅喆と孫秉煕の出会い:植民地近代と韓国民族宗教の創設」(韓国語での報告)2021

    • Author(s)
      佐々充昭
    • Organizer
      震檀学会 2021年度 秋季学術大会(植民地近代と韓国人の宗教活動)
    • Invited

URL: 

Published: 2022-12-28  

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