2022 Fiscal Year Research-status Report
Construction of a synthetic model for interpreting the philosophy of the late Descartes through the concept of nature
Project/Area Number |
20K12779
|
Research Institution | Hosei University |
Principal Investigator |
佐藤 真人 法政大学, 文学部, 准教授 (90839218)
|
Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2024-03-31
|
Keywords | デカルト / 自然本性 / 神 / 表面 / 化体(聖変化) / 心身合一 / 情念 / 愛 |
Outline of Annual Research Achievements |
後期デカルト哲学の展開について、形而上学・自然学・倫理学が交錯した考察に現れる以下の具体的事例を検討することで、デカルト晩年の自然本性概念の思索が一つの果実として結実する様を析出した。 第一の例は化体の問題である。秘蹟後にパンの感覚的性質が残りつつ、キリストの身体がパンにおいて現前するという問題を、デカルトは自らの「表面」理論によって自然学的な観点から説明しようと試みた。これによってデカルトは、化体という神学上の問題といえども、感覚という偶有的な問題に関する限り、すべて自然学的な観点から矛盾なく説明可能であること、すなわち、デカルト哲学の「人間的な論拠」によって信仰の問題が証明可能であることを示した。 一方で、化体そのものの発生はなぜ可能かという核心的な問題については課題が残った。これは一方でキリストの魂の神秘に関わる問題であるため、デカルトは以後沈黙を守ったが、他方で心身問題を含むものであり、後期デカルトの研究を方向づける一要因ともなった。本研究ではデカルトの愛の理論を手掛かりとして、心身合一に固有の自然本性概念を考察した。 デカルトの愛の理論の特徴は、アリストテレスやスコラ学者たちと異なり、愛を対象によって区別せず、「私」が善とみなすものと結合して一つの全体を成すことを愛の行為と考えることにより、神の愛と人の愛を本質的に同じ愛として一義的に考察することを可能にした点にある。精神と身体が実体的に区別されながらも「生きる私」において分かちがたく合一しているように、精神的な愛と情念としての愛は区別されるものでありながら、「私」において矛盾なく共存し、連続した一つの愛として現れる。概念としては個別に考察される精神の愛と情念の愛は「生きる私」において矛盾なく結合し、精神と身体を通して全身全霊で愛するのが心身合一体としての「私」の自然本性に固有の愛の形態である、という結論を得た。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
①「表面」という自然学的観点から神学における感覚的問題を論証したこと、②愛の問題を心身合一体としての「私」から一元的に解明したこと、の二点から、デカルト哲学における自然本性概念の具体的な現れを検証することができた。 ①においては、化体という神学的問題を、物体の自然本性である「延長」の様態としての「表面」の考察によって解明できることを示した。 そこで残された課題は②心身問題の考察へと引き継がれたが、これについては、愛の問題を「私」の自然本性から考察することによって解明を試みた。すなわち、従来は純粋精神による愛と身体的欲望に根差す愛の二元論的に考察されてきた問題を、心身合一体としての「私」からの考察に一元化することによって、精神と身体の実在的区別と合一が矛盾なく実現することをデカルトは示した。 デカルトが獲得をめざした最高度の知恵の端的な現れの一つが愛において見られること、しかも精神的な愛と心身合一に基づく愛が同じ「私」の自然本性に実現することを今年度の本研究で検証したが、これによって、デカルト哲学において認識論・形而上学・自然学・倫理学が相互に依拠した体系を成しており、その依拠と結びつきを成す鍵の一つは自然本性概念の展開に存することを、本研究では「表面」理論と愛の理論の考察を通じて明らかにした。
|
Strategy for Future Research Activity |
まず、「ユトレヒト論争」などの神学的・形而上学的な議論の追跡によって、後期デカルト形而上学における自然本性概念の発展を考察する。これによって、一方でデカルト形而上学の基礎の一つを成す神における自然本性概念が後期デカルトの考察ではどのように現れ、それ以前のデカルトの考察(やデカルト以前のスコラ学者らの考察)と比して、いかなる点でそれが異なるのかを検証する。他方で、人間固有の自然本性に関わる心身問題について、具体例と共に引き続き考察する。 主にこの二方面からの考察を柱として、以下三つの問題に取り組むことが本研究の最終年度の狙いである。①形而上学と自然学に基づくデカルト倫理学の到達点が自然本性概念においてはどのように現れているのか(あるいは現れなかったのか)、②それはデカルト哲学体系の完成にとっては、いかなる点から寄与したのか(あるいは寄与できなかったのか)、③デカルトの自然本性概念の考察は、いかなる課題を後世に残したのか(あるいは誰がどのようにデカルトの自然本性概念の課題を引き受け、解決を試みたのか)。 西洋哲学における自然本性概念の考察は、その歴史と同じくらいの長さと厚みがあるものであり、デカルトがそこにいかなる位置を占めていたのかを考えることは、さらなる研究の必要が見込まれる困難な問題であるが、翌年以降にこの研究を進め、十七世紀における自然本性概念の発展史を辿るため、その入り口を今年度に整えておきたい。そのために、デカルト哲学における自然本性概念の到達点がいかなるものであったのか、一定の結論を得ることを本研究の最終的な目標としたい。
|
Causes of Carryover |
前年度までに複数の前倒し支払い請求を行ない、当初の計画より多数が必要になった書籍・物品の購入に充当した結果、本年度の研究では必要な書籍・物品の金額が前年度比で減少したため、次年度使用額が生じた。 しかしながら、残額は単年度の研究費としては比較的少額であり、全額が研究遂行に必要な書籍・物品の購入に充当される予定である。
|