2022 Fiscal Year Research-status Report
シンガポール・マラヤにおける「五四」文学青年の総合的検討
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20K12949
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Research Institution | Kindai University |
Principal Investigator |
松村 志乃 近畿大学, 国際学部, 講師 (40812756)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 馬華文学 / サイノフォン / 王嘯平 / 中国当代文学 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、1920‐40年代のマラヤにおける華文(中国語)文学者の文学と思想を総合的に考察することを目的としている。2022年度は特にマラヤ出身の文学者王嘯平について充実した研究を行った。 まず論文「祖国という異郷に生きる ――マラヤ華人王嘯平の自伝小説を読む―― 」では、抗日戦争と革命のために中国大陸に渡ったマラヤ華人の文学者王嘯平が、いかなる思いの中でその生涯を中華人民共和国で生きたかを明らかにした。さらに翻訳集『黒い雪玉 日本との戦争を描く中国語圏作品集』では、王嘯平の散文「さらば友よ」と、娘王安憶の散文「父の本」とを合わせて訳出し、戦争によって人生を大きく動かされた中国のマラヤ華人文学者の思いを広く世に問うことができた。その後さらに、論文「王一家の百年──王嘯平、茹志鵑、王安憶から見た社会主義中国」を発表した。この論文は、前年度の日本現代中国学会の共通論題における報告を文章化したものである。本論文では、王嘯平のみならず、現代中国の著名作家である妻茹志鵑と娘王安憶を含めた、三名の文学者一家の思想的営為を読み解き、社会主義中国百年の歩みを考察している。この考察を通して筆者は、文学者の視点から見る社会主義中国百年に対する理解を深めたのみならず、国民国家文学という枠組みを超えた中国語圏文学(サイノフォン文学)の角度からテクストを考察するという視点をより明確に意識できるようになった。 こうした研究成果を踏まえ、本年の年度末には中国モダニズム研究会で「ことばを獲得すること――中国「新時期」文学と勃興期の「馬華文学」」という報告を行った。これは筆者の定点観測の地点としての中国当代文学研究と、本研究テーマである1920-40年代のマラヤの文学という、時代も場所も異なる文学を、より巨視的に、新たに自らのことばを獲得する困難という視点から報告したものであった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
本研究は1920-40年という世界が大きく揺れ動いた時期におけるマラヤ華文文学の作家群像を描き出そうとするものである。現在までに、その中のひとりである文学者王嘯平に関する論考はかなり充実してきた。しかしながら、他の作家に関してはまだ研究が十分に行えているとは言えない状況にある。また本研究に関する国内外の研究者との交流も十分には行えていないのが現状である。 その原因のひとつが、コロナ禍によって、シンガポール、マレーシアなど現地への渡航が困難であったことがあげられる。つまり多言語が交錯する現地の生活感覚に触れ、その中で当時の華人がいかに生きたかを調査し、貴重な資料を収集する機会に恵まれなかったといえるだろう。 また筆者は当初、中国の「五四」新文学に啓発されて書かれた勃興期の馬華文学は、ジェンダー規範からの脱却という視点から読めるだろうと考えていた。なぜなら、文学者たちの多くが、自由恋愛や結婚と伝統的価値観との間にある個人の煩悶を描いていたからである。しかし、主要資料である『馬華新文学大系』を読み進めるうちに、体系的かつ継続的に文学創作を行った作家があまりに少なく、また作家自身に関する資料も入手が困難で、ジェンダーの角度から作品像や文学者像を把握することが難しいことがわかってきた。また調査を進めるうちに、シンガポール、マラヤの華文文学者に女性が想像以上に稀少であることもわかり、ジェンダーの視点で読むのは妥当ではないと感じるようになってきた。 そこで、前年度後半よりサイノフォンの議論を視野に入れながら、「新たなことばの獲得」という視点から論を構築しはじめているところである。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究は1920-40年という世界が大きく揺れ動いた時期におけるマラヤ華文文学の作家群像を描き出そうというものである。これまでの研究で、中国の「五四」新文学に大きな影響を受けて生まれたそれらの文学には、「五四」新文学と同じように封建主義への反発やジェンダー平等を求める思いがみずみずしく描かれていることがわかってきた。しかしながら、体系的継続的に文学者として生きた作家が十分におらず、ジェンダーの視点のみから全体像をつかむことが困難だったため、いまだその作家群像を描き出すところにまでに至っていない。 そこで今年度末は、新たなことばを獲得する喜びと困難という視点から、当時のマラヤ華人文学を文化大革命後の中国文壇の状況と合わせて考察するという研究方法に切り替えた。ちょうど国内で華文文学やサイノフォンに関する翻訳(『サイノフォン――1 華語文学の新しい風』)が出版され、本書にまつわるさまざまなシンポジウムに多くの啓発を受けたことが追い風となった。そこで今後はサイノフォンという新たなプラットフォームを視野に入れながら、新たな文学言語を獲得した時代の作家群像という切り口で、勃興期の馬華文学を地道に読んでゆきたい。 またコロナ禍もおさまりつつあるので、今年度はマレーシアに赴き、華文文学の状況を調査したいと考えている。ペナンや馬華文学館を訪れ、現在の華文文学の置かれている状況を見分しつつ、現地の研究者と意見交換を行う予定である。
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Causes of Carryover |
次年度使用額が生じた理由は以下のとおりである。当初の計画では、国際会議などの報告のための渡航費として多くを使用する予定だったため、アフターコロナに向けて渡航費を残していた。しかしながら、参加した国際シンポジウムはオンライン開催に切り替わり、特に旅費を使う必要がなかった。また国内の学会も、いまだ多くはオンラインが中心であり、旅費を十分に使うことができなかった。さらにコロナ禍の影響で海外での現地調査も手続きもいまだ煩雑であったため、現職との兼ね合いを考えて渡航を断念した。 次年度を最終年度と位置づけ直し、できるだけ国内外での調査研究を行うことで、予算を使用したいと考えている。
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