2009 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21520103
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Research Institution | Okayama University |
Principal Investigator |
鐸木 道剛 Okayama University, 大学院・社会文化科学研究科, 准教授 (30135925)
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Keywords | イコン / 正教会 / アラスカ / アリューシャン(アレウト)列島 / 聖書挿絵 / ウナラスカ / ニコライ / インノケンティ |
Research Abstract |
前回の科研補助金による2003年の調査とその結果を踏まえて、ロシア領アラスカでの最初の画家であるヴァシリー・クリューコフのイコンの調査を、作品が現存すると考えられるアレウト(アリューシャン)列島のウナラスカ島の昇天大聖堂でおこなった。この聖堂は1826年に成聖されたものであるが、1858年の再建を経て、現在の聖堂は1894年のものである。聖堂には不可欠のイコノスタスの王門に描かれる「受胎告知」と「四福音書記者」の絵が、現在の聖堂には4組ある。聖堂は北にインノケンティ礼拝堂、南にセルギー礼拝堂を備え、さらにインノケンティ礼拝堂のイコノスタスの上部に「受胎告知」と「四福音書記者」のひと組が掲げられている。ヴァシリー・クリューコフは1826年の創建の際にイコンを描いたと考えられ、聖堂中央のイコンは最後の1894年のものとして間違いないであろうが、のこり3組のどれが1826年の聖堂のイコンであろうか。 今回の調査で、聖堂中央の「最後の晩餐」とセルギー礼拝堂の「最後の晩餐」のイコンは、日本にも将来され、山下りんも模写しているヘンリク・シエミラツキ(1843-1902)によるモスクワの救世主キリスト聖堂(1883年成聖)のイコンの図柄であることがわかった。しかしセルギー礼拝堂のイコンも一点が1883年以降のものであるからといって、すべてがそうとはいえない。この4組のイコンの様式的比較のためには写真資料が必要であるが、現地では撮影は許可されず、現在アンカレッジの文化財保護協会(U.S. National Park Service and Aleutian/Pribilof Islands Association)に資料写真の複製を依頼中である。 またウナラスカの昇天大聖堂のなかで、「В. Крюков」(これがヴァシリー・クリューコフのことであると考えられる)が原画を描き、そのなかの「復活」の原画がシトカのインノケンティの主教館に保存されている『旧新約聖書挿絵集』(シドルスキーがペテルブルグで1889年12月刊行)のうちの6点を発見した。「エルサレム入城」(1877年刊行)、「聖家族」(1888年刊行)、「洗礼」、「最後の晩餐」、「磔刑」、「復活」(4点は1889年12月刊行)である。1877年と1888年の年記のある版画の存在も初めて知ったことであるが、日本で正教会のニコライや聖公会の伝道者たちが利用し、2008年にモスクワで復刻された『子供用聖書(Библиядлядетей)』にも「В.Крюков」との署名のある旧約と新約物語め絵が20点掲載されていることからもわかるように、この絵入り聖書は革命前には世界中でキリスト教の伝道活動に大きな役割を果たしていたのであり、その現物がウナラスカで見つかったことは、シトカに原画があることに加えてこの「В.Крюков」のアラスカとの繋がり、つまりはウナラスカ出身のヴァシリー・クリューコフであることを示すものと考えられる。「В.Крюков」おそらくヴァシリー・クリューコフについてはロシアでは資料もなく忘却されている。それはクリューコフがロシア人とアレウト人との間のクレオールの画家であって、アレウト列島が1867年以降、ロシア領ではなくアメリカ合衆国領となったためと思われる。表象論の淵源であるイコンの受容については、シャーマニズムのアジアにおけるイコン受容について、道教の専門家であるロシア人のマリャーヴィン教授(台北、淡江大学)と研究交換した。
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Research Products
(7 results)