2010 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21520103
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Research Institution | Okayama University |
Principal Investigator |
鐸木 道剛 岡山大学, 大学院・社会文化科学研究科, 准教授 (30135925)
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Keywords | 仮面 / 唯識 / コディアク / アルフォンス・ピナール / クリューコフ / 明恵 / 夢窓国師 / 偶像 |
Research Abstract |
平成22年の3月にウナラスカ島の昇天聖堂のイコンの調査を実施しだ際、昇天聖堂にあることを発見したV.クリューコフとのサインのある聖書挿絵(シドルスキー出版)6点の写真資料を、アンカレッジの文化財保護協会(U.S.National Park Service and Aleutian/Pribilof Islands Association)より入手し、詳細な調査をおこなった。 それとともに表象観念を裏付ける宗教的根拠を欠くアラスカにおけるイコンの受容について、同じく表象視念を文化のなかに欠き、しかも表象観念をキリスト教とともに、明治開園あるいは16世紀の安土桃山時代より学習しているわが国との比較を常に念頭に置いて考察した。 解明のきっかけとなったのは、明恵上人(1173-1232)のテキストの発見で、フランスの仏教学者ベルナルド・フォール氏の著作(Bernard Faure, Visions of Power : Imagining Medieval Japanese Buddhism, Princeton, 1996,p.256)に引用されていたものであるが、引用の文脈は異なっている。つまり「木に刻み絵に書きたるを生身と思えば、やがて生身にて有るなり」(「梅尾明恵上人遺訓」)。これは夢窓国師(1275-1351)の「山水には得失なし。得失は人の心にあり」(「夢中問答集』)のテキストとも通じるものである。これは生動性を与えるのは意識であるとする唯識論であり、その後、中国の玄奘(620-664)漢訳した「十一面神呪心経』のテキストへの慧沼(648-714)の註釈「十一面神呪心経義疏』に「木はこれ心無し、何の故にか声を出すや。…行人の心の誠なること、…行人の誓願の強盛なること、…菩薩の誓願の重いこと」とのテキストがあることを知った。このテキストは仏像研究者には周知のものであるが、仏像を生きているものとする根拠、すなわち仏を表象する「もの」ではなく、仏それ自身とする根拠がここに示されている。 一方、アラスカにおける表象論については、フランスの探検家アルフォンス・ピナール(1852-1911)がコディアク島で収集しブーローニュ・シュル・メール城郭博物館所蔵のアルティイク人(Alutiiq)あるいはスグピアク人(Sugpiaq)の仮面がコディアク島で展示された。アラスカの仮面は本来は儀式の後、破壊されて残らない(Two Journeys, Kodiak, p.48)のであるが、フランスに渡ることによって現在まで残されているのである。そのGiinaquqと呼ばれる仮面の意味は、「顔のようであるが、本当の顔ではない」との意味とのことである(Giinaquq : Like a Face : Sugpiaq Masks of the Kodiak Archipelago, Fairbanks, 2009, p.1)。仮面がそのような意味で扱われてきたのなら、ムサリマスが言うような(Mousalimas.From Mask to Icon, 2003)アラスカにおける仮面からイコンへの転換は容易であったろう。しかしそのような表象としての仮面の位置付けを支持する論理的根拠のないところでは表象論は脆弱なままである。その実態を考究せねばならない。
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Research Products
(6 results)