Research Abstract |
本研究は平成21年から23年度にわたるもので、チューダー朝初期に王侯お抱え劇団が誕生してからエリザベス時代に商業劇団が最盛期を迎えるまでを対象に、舞台衣装の視覚化復元を行い、[1]劇作品執筆の背景や上演の実態、[2]舞台衣装の調達とその後の流れ(購入、作り替え、売却)を中心に、英国近世演劇史をまとめることを目的としている。 平成21年度は、エリザベス朝の前・中期にあたる1590年代前半までを研究対象としたが,22年度は,チューダー朝初期ヘンリー7世,ヘンリー8世の饗宴の演出と衣装について,23年度は,エドワード6世,メアリー女王次代からエリザベス朝に至る宮廷饗宴について研究を進めた。ヘンリー7世,ヘンリー8世は饗宴の立案にも参画し,他国との政治折衝を意図した宮廷饗宴を執り行ったが,後を継いだ少年王エドワードの時代には,有力廷臣が企画立案し,王を楽しませるだけの饗宴に変化した。しかし,この頃の宮廷饗宴局は詳細な会計簿を残し,饗宴でどのような衣装が使用されたかが解明できた。英国の宮廷饗宴史上,唯一エドワード時代にのみ行われた祝宴に,Lord of Misruleがある。これは王侯のロンドン入市式のパロディであったが,「無秩序王」は重臣の他に,近衛兵を始めとする兵列を従え,ロンドン塔からギルドホールをまわるパレードを行い,市民の日記にもその賑わいが記された。この時の「無秩序王」や息子たち(愚者)の衣装記録からは,当時の饗宴衣装の素材・デザインが具体的に再現できるが,それらはエリザベス朝商業演劇の舞台衣装復元の貴重な手がかりとなる。 メアリーは即位後,スペインのフェリペ2世と結婚し,フェリペの英国滞在中は華やかな饗宴を行ったが,それ以外の期間には経済を重視し,饗宴経費は低額に抑えられた。饗宴費用の最たるものは衣装代であったが,メアリー代には饗宴局に保瞥された前代の衣装が再利用され,経費節減が図られている。このような作り替えは次代のエリザベス朝でも盛んに行われたが,饗宴局の記録からは,1年から5年程の短期間のうちに,饗宴衣装は2回から4回程度まで作り替えられ,最終的に廃棄,あるいは演者に祝儀として払い下げられている。本研究では,王室会計簿、祝宴関係記録から、宮廷上演がどのような衣装で行なわれたのかを明らかにした。商業劇団が本格的に活動を始めるのは1580年代後半からだが,宮廷公演も行う中で,劇団手持ち衣装も増やしていった。その中には宮廷公演で使用された衣装が含まれた可能性は高く,盛期ルネサンス演劇の演出がかなり具体的に解明できた。
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