2010 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21520370
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
加藤 國安 名古屋大学, 大学院・文学研究科, 教授 (70142346)
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Keywords | 子規 / 明治漢文教本 / 近代人にとっての漢文教養 |
Research Abstract |
法政大学子規文庫藏の写本「随録詩集」を調査、その基づいた文献が「先哲叢談」所収の漢詩である可能性を見出した。それは若い頃、子規が儒学には関心がなくむしろ儒者の漢詩に強く惹かれていたことを明証するものである。また同文庫の仏典漢籍を中心に調査し、子規の最後の漢詩「無題」に詠まれる「五台山下の路」について、仏教嫌いを自認していた子規が、どんな理由により五台山に言及したのか、子規文庫所蔵の文献からその根拠を割り出すべく考察を行った。これまで子規文庫の仏典漢籍について調査されたことはほとんどなく、今回、初めて未知の文献を対象に研究を行った結果、(1)明治29年に子規が言及する「親鸞真伝」の蔵書を確認し、子規が真宗に関心を寄せていた事実を具体的な形で明らかにすることができた。これとの関連で、「高僧伝」「浄土和讃・高僧和讃・正像末和讃」等の蔵書を調べると、やはり浄土真宗の内容に深く関わることが見出せた。真宗の他にも、子規蔵書には「峨山逸話」という臨済宗の高僧の書物もある。峨山は天田愚庵という子規が近代短歌の道を開拓するに際して大きな影響を与えた人物の兄弟子にあたる。また子規は明治三十四年の私的手記「仰臥漫録」の中で「峨山と丁稚の話」を記しているが、これが「峨山逸話」中にあることを初めて確認することができた。さらに、子規は当時真宗の若い僧・曉烏敏の親しい訪問を受けていたが、巻末に曉烏敏の署名入りの「訓点真宗三部経」を確認、曉烏との間に相当深い宗教的会話がなされていたことを、「訓点真宗三部経」の内容から探ってみた。こうした書物や僧侶との交流を通して、次第に子規は真宗の故郷の五台山へ思いを寄せるに到ったと考えられる。次に、明治漢文教本「中等教科漢文読本」における清代古文の受容について、(1)では汪碗・魏禧・朱彝尊を中心に、(2)では方苞・劉大概・姚敢・袁枚・廖燕らを中心にして、その典拠・内容・選録の意義や社会背景を考察し、またその他の漢文教本との比較、及び今日の中国の清文選集との異同について検討した。その結果、編集に際しては、和刻本のほか『国朝二十四家文鈔』『国朝古文所見集』『清名家文鈔』等を基礎にしていたことが明らかとなった。このような道筋を付けた先人を探求してみると、諸資料の中から頼山陽・齋藤拙堂に始まり、三島中洲へと続く清文重視の系譜を突き止めることができたことも、今回の一成果である。
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Research Products
(4 results)