2010 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21520675
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Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
三宅 紹宣 広島大学, 大学院・教育学研究科, 教授 (10124091)
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Keywords | 明治維新 / 幕末 / 長州藩 / 政治史 |
Research Abstract |
本研究は、幕末維新期の長州藩の政治過程について、長州藩を主たる研究フィールドとして、総合的に解明しようとするものである。本年度は、文久元年下関におけるイギリス艦来航事件を分析して、諸階層の対外的危機意識と政治的対応を明らかにし、危機の存在を実証した。また、慶応元年から2年の政治過程を分析し、薩長盟約の成立と展開過程を中心に解明した。その成果をまとめておけば、以下の如くである。(1)慶応元年、長州藩内には、薩摩藩と提携することに慎重論があり、薩摩藩名義で軍艦を購入することに、海軍局の反対論があった。しかし、慶応元年8月、薩摩藩に依頼することがまとまった。薩摩藩は、長州藩が銃を購入することは支援したが、軍艦は目立つので購入に名義を貸すことを渋り、購入は難航した。この状況を打開するため、9月7日、長州藩主父子の薩摩藩主父子宛書簡が書かれた。この段階では、両藩ともに盟約締結の状況には至っていなかった。(2)慶応2年1月21日、薩長盟約が締結された。盟約一条は、幕長戦争開戦後、直ちに薩摩藩は兵士を鹿児島から上京させるというものであり、幕府軍本隊のいる大坂および一会桑軍隊のいる京都を固める長州藩の後方支援であった。薩摩藩兵士の京都・大坂駐屯による威圧の中で、幕府軍は長州藩周辺へ援軍を出軍できず、緒戦での敗北を挽回できなかった。(3)盟約一条・二条は、薩摩藩によって忠実に履行された。薩摩藩は、さらに幕府による出兵要請を長州藩と連絡をとりつつ拒否し、軍事技術の提供、海外情報の提供、火薬など軍事物資の支援など様々な支援を行った。また、坂本龍馬は、下関海戦に参戦し、長州藩勝利に貢献した。
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