2012 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21520675
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Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
三宅 紹宣 広島大学, 教育学研究科(研究院), 教授 (10124091)
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Project Period (FY) |
2009-04-01 – 2013-03-31
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Keywords | 日本近世史 / 日本近代史 / 明治維新 / 幕末期 / 政治史 / 長州藩 |
Research Abstract |
本研究は、幕末維新期の政治過程について、長州藩を主たる研究フィールドとして、総合的に解明しようとするものである。分析対象とする時期は、アヘン戦争への対応としての長州藩天保期の軍制改革から開始し、近代国家を作るための廃藩置県への過程である。本年度は幕長戦争の分析を中心として研究を行った。解明した諸事実は以下の如くである。 幕長戦争は、これまでの通説では、西洋式兵器をそろえた長州藩が、旧式兵器のままの征長軍を破ったとされてきた。しかし、戦争の過程を正確に復元すると、幕府直轄軍や和歌山藩軍の兵器は、長州藩の兵器と互角のレベルであり、とりわけ海軍力においては、幕府は、当時最新鋭の大型蒸気軍艦をそろえており、長州藩を圧倒していた。しかるになぜ長州藩は勝利することができたのか。分析の結果、両者が決定的に違うのは、長州軍が散兵戦術など西洋式戦法に習熟し、それを充分に使いこなしたという点、つまり兵士の自発性の有無を中心とした質の差、兵站を担う軍夫の積極性の有無の差、さらにはその背後にいる民衆の支援の有無の差にあったことが明らかとなった。 幕長戦争の意義は、とりもなおさず両政治勢力の歴史的性格の差につながってくる。つまり封建身分制の維持を前提とする幕府・諸藩と、それを克服し、諸階層の活力を引き出し、近代国家の成立を目指そうとする勢力の差である。幕長戦争は、幕府の権威を失墜させ、諸藩は幕府の命令に従わなくなった。幕長戦争は、長州藩が勝利した後、追撃戦を行っていないことに象徴的に現れているように、討幕を目指す戦争ではなかった。しかし、戦争の過程で幕府を完全に見限った政治勢力によって、慶応3年になると、討幕の動きは現実のものとなってくる。その動きは、慶応3年5月、長州処分問題をめぐる徳川慶喜と、島津久光・伊達宗城・松平慶永・山内容堂の四侯会議の激突により現実のものとなることを展望した。
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Current Status of Research Progress |
Reason
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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