2009 Fiscal Year Annual Research Report
19世紀中葉の中国長江流域における社会変容と太平天国
Project/Area Number |
21520726
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Research Institution | International Christian University |
Principal Investigator |
菊池 秀明 International Christian University, 教養学部, 教授 (20257588)
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Keywords | 太平天国 / 不寛容 / 住民虐殺 / 反満主義 / 城郷区別 |
Research Abstract |
太平天国が揚子江中流域へ進出する過程で行った軍事行動と宗教、経済政策、地域社会の反応について湖南、湖北、安徽、江西、南京の各地を例として検討した。 まず1852年に太平軍が広西桂林攻撃に失敗し、湖南へ入った過程を検討した。途中全州で住民虐殺が行われたという通説があるが、実際に殺されたのは守備隊の兵士と清朝官員であったこと、住民虐殺のフィクションが生まれたのは、強い宗教性を帯びた太平軍の不寛容な態度に驚いた人々が、「王を殺された報復に住民を虐殺した」という解釈を与えたことを明らかにした。 続いて太平軍が長沙から揚子江流域へ進出し、武昌を占領した過程を分析した。長沙の戦いで清軍は地雷攻撃を防いだが、そのノウハウは武昌へは伝わらず、圧倒的な兵力差もあって清軍が城内に籠城したために、トンネル工事を阻む手段を持たずに敗北したことを指摘した。 さらに武昌では都市住民に対する厳しい統制が行われたことを指摘した。それは現代も中国社会が抱えている「城郷区別(都市と農村の格差)」の現れであり、辺境の移民出身だった太平軍將兵の都市住民に対する態度には、繁栄を独占してきた都市に対する怨嗟が現れていることを検討した。 最後に今年度は太平軍の南京攻略について検討した。その兵力は十数万で、清軍の守備隊は地雷攻撃で陣形を乱して敗北した。この時八旗兵4000名とその家族は激しく抵抗し、南京陥落後に満洲人女性に対する虐殺が行われた。それもまた太平天国が抱えていた宗教的な不寛容の結果であった。
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Research Products
(5 results)