2011 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21560551
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
清水 英範 東京大学, 大学院・工学系研究科, 教授 (50196507)
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Keywords | 国会議事堂 / 議院建築準備委員会 / 議院建築調査会 / 妻木頼黄 / 辰野金吾 / 大熊喜邦 / ジョサイア・コンドル / 官庁集中計画 |
Research Abstract |
前年度までの調査で、国会議事堂の敷地については、明治20年4月の閣議決定以降も、議院建築準備委員会(明治43年)、議院建築調査会(大正6年)などで議論が続けられていたことが分かった。平成23年度においては、これら委員会の議事録などの政府資料や、関連する新聞/雑誌記事を調査した。また、建築家ジョサイア・コンドルが太政官雇技師として明治18年1月に立案した官庁集中計画(第一案)に、議事堂の位置が日比谷練兵場内に示されていたことに注目し、同計画の経緯や計画意図について調査を行った。 ここでは、紙幅の都合上、前者(委員会の資料等)の調査で判明したことに限り、主だった史実を示す。 1)「帝国議会議事堂建築報告書」(大蔵省、昭和13年)に、敷地を永田町とした理由が記されているが、その理由が初めて示されたのは、議院建築準備委員会の第一号議案(敷地)での審議で、妻木頼黄(当時、大蔵省臨時建築部技師)によるものであった。2)同委員会では、辰野金吾らが予定敷地及び周辺の土地利用・道路幅員、地質状況への懸念から、永田町案に反対の意見を表明し、敷地問題を議論する特別委員会が設置された。しかし、特別委員会での議論の末、他に適当な敷地がないなどの理由から、予定通り永田町とする方針で合意された。3)議院建築調査会では、上記準備委員会での議論の結果が確認されたのみで、敷地は予定通り永田町とされた。すなわち、議事堂敷地を永田町とすることは、実質的には議院建築準備委員会で決定されたと解される。4)明治20年4月の閣議決定については、「帝国議会議事堂建築の概要」(大蔵省、昭和11年)以降、種々の文献に紹介されてきたが、上記準備委員会・調査会においては、閣議決定の事実に言及する発言はなかった。なお、閣議決定の事実を初めて紹介したと思われる文献は大熊喜邦が「建築雑誌」に寄せた「議院建築計画の沿革と懸賞図案」(396号、大正8年)である。
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Research Products
(1 results)