2021 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
21K00317
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Research Institution | Bukkyo University |
Principal Investigator |
新稲 法子 佛教大学, 公私立大学の部局等, 非常勤講師 (40725230)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 近世文学 / 漢文学 / 日本漢文学 / 河内 / 松原市 / 大阪市平野区 / 北山橘庵 / 舟木杏庵 |
Outline of Annual Research Achievements |
河内地方は、古典の世界では『伊勢物語』の高安の女の話や歌枕の生駒山など、都の文化が及ぶ畿内のイメージ、昭和に入ると主として今東光の「河内もの」と呼ばれる小説の影響によって土俗的で猥雑なイメージを持たれてきた。 これらのイメージとは別に、漢文学が盛んな近世には、生駒山人という日下村(東大阪市)の詩人が、地元の風景を仙境として描いていた。これについては既に申請者の研究があるが、本研究では近世の河内地方の漢文学について更に広くとりあげて、河内の文学史に新たなイメージを加えることを目的としている。 本研究においては、一括して入手した北山橘庵関係史料を調査しているが、その一部、舟木杏庵の手稿本『杏庵詩稿』について翻刻作業を開始し、現在も継続中である。橘庵は一津屋村(松原市)の医師で、生駒山人と双璧をなす河内を代表する詩人の一人として知られており、松原市でも顕彰されている。杏庵は瓜破村(現在大阪市平野区であるが当時は河内国)の医師で、『橘庵先生詩鈔』の出版に携わった門人として名を残しているが、それ以外のことはほとんど知られていない。しかし、詩稿を見たところ作品の水準は高く、河内の漢詩壇において重要な詩人の一人であると考えられる。また、詩稿とその他の史料には平野郷や大坂との交遊も記されており、彼らの交遊圏が窺われる。文学としてだけでなく郷土史の上でも見るべき情報が含まれると考えられるので、特に詩稿については翻刻を掲載したい。投稿する予定だった雑誌の刊行が止まっているが、令和4年度には何らかの形で史料紹介として発表するつもりである。 令和3年度の研究を通して、近世河内の漢文学を考える上で、1.知識層が柳沢淇園を経済的に援助していたこと、2.北山橘庵を中心とする医師のネットワーク、3.楠公に対する敬慕 が重要であることがわかってきたが、これらについては令和4年度に学会発表・論文投稿する予定である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
令和3年度に計画していた以下の2つについて遅れが生じている。 【1.史料調査】大阪府内は全国でも新型コロナウイルスの感染者数が突出して多く、調査に不便が生じた。また、ご高齢の方が多い個人宅へ伺うのも断念せざるを得なかった。 【2.史料の輪読と翻刻の掲載】大阪の芸文に関する史料を輪読している研究会において、北山橘庵関係史料を輪読する内諾を得ていたが、緊急事態宣言で会場が休館になったのをきっかけに、休会の状態のまま現在に至るまで再開していない。研究会では毎年、輪読した史料を雑誌に翻刻紹介しているが、雑誌についても刊行が止まったままである。 申請時に、もしこのような事態になった際には、自宅にて既に入手している北山橘庵関係史料一括の解読を優先して行う計画を立てていたので、その通り粛々と続けてはいるが、昨年度中を予定していた翻刻の成果の発表はできなかった。 これに加えて、東大阪市で古文書の解読を進めている代表者の方が急逝された。本研究では、地域でこういった地道な活動をしている方たちと研究者との良き協力関係を目指していた。研究を開始するに当たって史料の調査で非常に力になって下さり、協力をお願いしていただけに、今後も痛手は大きいと思われる。
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Strategy for Future Research Activity |
当初、令和4年度は、令和3年度にやり残した調査を行い、研究会での詩稿の輪読を継続することを予定していた。 令和3年度は結果的にまったく調査に行けなかったので、令和4年度以降に取り戻す必要がある。北山橘庵については公的機関に貴重書として収められているものがあるので、それらを優先して調査し、個人宅の訪問に関しては慎重に進めることを心懸けるつもりである。 詩稿については、研究会での輪読は諦めて、引き続き単独で翻刻作業を行うことを基本とする。不明な点などは、オンラインなどを利用して研究会のメンバーに個別でレクチャーをお願いする。翻刻資料の掲載については、雑誌の刊行が再開できない場合は別の媒体を検討するつもりである。 近世の河内における漢文学の切り口はいくつか考えられるが、最も重要なのは医師のネットワークである。河内の代表的な詩人の一人、北山橘庵は医師であり、舟木杏庵は医学と漢詩の両方の弟子である。そもそも河内において知識層が学んだのは和歌や国学が多かった。古代史や和文脈の文学の舞台が多い土地柄からもその方が自然である。医師として儒学の素養があることが、和歌ではなく漢詩を嗜む大きな要因であった。 今後の方向性としては、医学を学ぶ者がどのように漢詩の素養を身に付けていくのか、医師としての生活の中で漢詩がどのような役割を果たしていたのかについて研究の焦点を絞っていく。医師の文学は近代の森鴎外にまで繋がる重要なテーマでもある。
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Causes of Carryover |
令和3年度は新型コロナウイルスの感染状況が影響し、予定していた調査ができず、輪読とその結果を発表する予定の研究会も休止になった。また、国内学会がすべてオンラインで実施され、海外学会が中止となったため、予定していた旅費を使用することがなかった。そういった状況の中で、既に入手していた史料の解読を優先した結果、北山橘庵と舟木杏庵について、いくつかの新しい知見を発表できる見通しが立った。 そこで、令和4年度は橘庵・杏庵ら河内の医師の創作活動に絞って研究を進めている。近世の河内の文学に関しては、和歌や国学については先行研究があるが、漢詩についてとりあげたものはほとんどなく、医師のネットワークの中で漢詩について取りあげたものはこれまでなかったので、一定の成果を挙げられることと予想している。 この方向で研究を進めるため、令和4年度は、漢詩や大阪の地方史の他に医学関係の参考文献を購入するつもりである。また、橘庵に関わる史料の整理に携わった方にレクチャーをお願いするつもりである。使用額で特に多くを占めるのは海外学会における対面での研究発表であるが、開催されるかどうかまだわからない。これについては、最終年度まで機会を窺うつもりである。
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