2021 Fiscal Year Research-status Report
Reconstruction of the History of Cultural Exchange in the Muromachi and Sengoku Periods: A Study of the Formation Process of the "Higashiyama Illusion"
Project/Area Number |
21K00846
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
橋本 雄 北海道大学, 文学研究院, 教授 (50416559)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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Keywords | 宗祇 / 全杲・吉祥院 / 雪舟 / 茶 / 花 / 能・狂言 / 文化交流 / 貿易 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度の研究実績は、活字論文の公刊と、史料の蒐集・分析とから成る。 まず前者は、連歌師宗祇の旧知・昵懇の禅僧「吉祥院」の素性が、画僧雪舟や医僧良心とも関わりの深い松雪軒全杲であったと主張する論文の発表である(芳澤元編『室町文化の座標軸』所収)。この仮説は、遣明船貿易の事業や室町幕府・大内氏の周辺を洗い直し、関連史料を博捜し検討した結果導かれた。より具体的に述べれば、(1)宗祇と「吉祥院」とは若き時代に相国寺で親しくしていたこと、(2)「吉祥院」は入明経験をもつが、それは応仁度遣明船しか考えられないこと、(3)応仁度船にはかの雪舟が乗り込んでおり、彼の豊後府内での活動を示す『天開図画楼記』を記したのが医僧良心であったこと、(4)その良心が応仁度船に加われたのは、全杲の推挙によるものだった可能性のあること、(5)全杲は、応仁度船のプロジェクトに初めから深く関わっていたこと、(6)全杲は帰国後に山口の舟木に隠居していた「吉祥院」と同一人物であったらしいこと、(7)応仁度船一号船(幕府経営)・三号船(大内氏経営)は博多には帰着せず、赤間関に向かったが、これは明朝からの回賜品(勘合を含む)を大内氏が抑留するためであったこと、などを解明できたと思う。 その他、室町文化に係る書籍(前田雅之編『画期としての室町』)や、東アジア交流史(文書学)に関する書籍(小島道裕ほか編『古文書の様式と国際比較』)について、書評を公表することができた。『画期……』は、とくに充実した紹介と論評が示せたと自負するし、『古文書……』は、文化交流の基礎的な部分を押さえることにつながった。 ついで後者については、主要な『君台観左右帳記』諸本や茶道史関係の資料を、書籍や復印等のかたちで入手できた。その本格的な分析は次年度以降に期したい。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
コロナウィルス(Covid-19)の蔓延が止まらず、出張に出られなかったことが大きい。Online開催の学会も多くなったが、やはり現場で対面するメリットは何にも代えがたい。 また、当該テーマの研究には、博物館・美術館の展覧が欠かせないが、これも難しい状況にあった。 そして、8月は入院して学究活動がいったんストップしてしまった。これも少なくない影響を与えたと思う。 いずれも、次年度以降、巻き返していきたいと思うし、それを切実に願うものである。
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Strategy for Future Research Activity |
次年度以降は、(1)蒐集した史資料を分析すること、(2)それらをこれまでの研究と絡めて昇華させること、が課題となろう。 (1)については、『君台観左右帳記』等の史料批判、すなわち構築主義的な読解や分析を、本格的に推進することである。具体的には、『君台観左右帳記』の奥書や本文の分析を慎重に行なう作業を指す。これにより、所期の研究目的を果たしていきたい。またこうした作業の結果導き出される仮説は、美術史のみならず、茶道史の刷新にも貢献するだろう。さらには、東山幻想の解体を決定的なものにするに違いない。 (2)については、たとえば、本研究課題の始まる前から続けている、茶道史に関する研究成果を活かした仕事との関連がまず挙げられよう。そこでは、村田珠光の「心の一紙」再読を行ない、有名な「和漢の境をまぎらかす」の再解釈を行なった(従来の「和漢混淆を積極的に目指した」というのは深刻な謬見であり、維摩信仰に根ざす不二論でこそ解釈すべきだというのが卑見の要点である)。その成果を、古くは兼好法師(『徒然草』)、新しくは千利休の弟子の山上宗二に至る文化史の流れに位置づけ直し、茶道史のなかの由緒言説を脱構築していきたい。こうした作業の先に、日本文化史の硬直した語りの批判や、その再構築への展望が開けるはずだからだ。
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