2022 Fiscal Year Research-status Report
Reconstruction of the History of Cultural Exchange in the Muromachi and Sengoku Periods: A Study of the Formation Process of the "Higashiyama Illusion"
Project/Area Number |
21K00846
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
橋本 雄 北海道大学, 文学研究院, 教授 (50416559)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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Keywords | 珠光 / 心の一紙 / 維摩信仰 / 兼好法師 / 徒然草 / 正徹 / 禅宗 / 心の下地 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度は、橋本素子・三笠景子編『茶の湯の歴史を問い直す』(筑摩書房)に、論文「兼好・正徹・珠光の思想と「茶の道」:珠光「心の一紙」から『山上宗二記』へ」を公表することができた。これは、「侘び茶の祖」とされる珠光の有名な言説「和漢の境をまきらかす」を含む、「心の(師の)一紙」(一紙とは手紙のこと)を丹念に再読し、新たな見解を導き出したものである。すなわち、この「和漢の境」云々のフレイズは、和物と唐物とを混ぜ合わせたり取り合わせたりすることではなく、和物でも唐物でも構わない、気にしない境致を理想とするシェーマだということである。そして同時に、「我慢」(傲慢さ)が要らぬ/要るいう箇所も、単に「我慢」を否定/肯定するのではなく、「我慢」がある自分の「心」(妄心)にまず気づくことが大切であり、それからその「妄心」を捨て去るべきだという謂なのであった。そしてその先には、「心の下地」と呼ばれる悟境から物事を成し遂げることが理想とされたのである。 こうした理解は、禅的な維摩信仰の思想に基づく。そして、珠光の思想の源流をたどると、兼好法師の『徒然草』137段に行きつく。同段は、有名な「花は盛りに、月は隈無きのみ見るものかは」というフレイズで知られ、通常、アシンメトリーな関係や不完全さを尚ぶ日本的な美意識の謂とされてきた。だが、これもまた大いなる誤解であり、正しくは禅的に解釈すべきものだったのである。そしてこれをよく理解していたのが、歌人の正徹であり、その正しい理解は弟子の心敬にも継承された。それが変節・誤解されたのが、千利休の弟子の山上宗二であった、というのが卑見の新味である。 以上は、侘び寂びを日本の伝統と無邪気に見做してきた既往説への異議申し立てであり、本科研課題の趣旨とも見事に合致するものと自負する。今後は、「侘び茶」や「侘び」とは何かなど、徹底して日本文化史の脱構築に挑んでいきたい。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
一昨年夏に起こした自身の病気が多少影響している。また、コロナ禍の影響も無視できないだろう。
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Strategy for Future Research Activity |
以下のような具体的な検討課題を遂行中である。 第1に、雪舟自画自賛《破墨山水図》に関する研究(髙島晶彦氏〔東京大学史料編纂所〕と共著)を投稿中である。これは、雪舟の自賛の上に並ぶ、京都五山の高僧6名の追賛に関する時系列的な復元研究である。先行研究では、複数の著賛については決まった場所のあることが指摘されてきたが、それがどのような時間的順序で着けられたものかは等閑視されてきた。このたび、デジタル顕微鏡写真で精査する機会を得、筆者なりの仮説を導くことに成功した。 第2に、日朝外交文書の別幅に関する研究。学術雑誌『古文書研究』に掲載が決まっている。同論稿は、妙智院所蔵『大明別幅并両国勘合』の最後に収録される、年紀未詳の別幅4通に関する基礎的検討である。1通を除き、年次が確定できたと考える(その残り1つは、推測を含めて年次を比定している)。そして、この研究の副産物として、1459年に朝鮮を立った日本国通信使(その外交文書の別幅が『大明別幅并両国勘合』に含まれていた)が、一人を除き、対馬にて全員殺された可能性が高いという結論に達した(従来は、対馬からの通報を信用して、漂没したとされてきた)。なぜなら、同使節が、日本国王(室町殿)だけではなく、対馬を中核とする偽使派遣勢力がその名を騙る王城大臣(幕閣)や、通行路沿いの有力者などへの外交文書や礼物を携えていたからである。万が一、この使行が成就したとすれば、それまで彼らが営々と築き上げてきた偽使の実績が水泡に帰することになる。それゆえ、対馬宗氏としては、この通信使を抹殺するのが最善策だったのであろう。ただし、通信使が室町殿宛てに携行していた大蔵経のみが無事に京都まで届いており、上記の仮説の正しさを裏付けるかのようである。なお、こうした外交文書の別幅は、国境をまたぐ贈答儀礼・物品交換の物的証拠であり、本科研課題の重要な一角を占めること、疑いない。
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Research Products
(1 results)