2011 Fiscal Year Annual Research Report
統一様式としての「初唐美術様式」の形成ー地域性の喪失に注目して
Project/Area Number |
22520092
|
Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
八木 春生 筑波大学, 芸術系, 准教授 (90261792)
|
Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
小澤 正人 成城大学, 文芸学部, 教授 (00257205)
|
Keywords | 敦煌莫高窟初唐窟 / 初唐美術様式 / 阿弥陀如来 / 弥勒如来 |
Research Abstract |
唐時代首都であった西安およびその付近から、現在北周時代(557~581年)や隋時代前期(581~600年頃)とされる石像が若干出土しているものの、隋時代後期(601~618年頃)や唐時代に入っても、則天武后即位(690年)以前の作品はあまり知られていない。それゆえ「統一仏教美術様式」がいつ出現したかという問題以前に、西安における唐時代の仏教美術の様相を明らかにすることが急務である。そこで、隋時代から唐時代にかけてとしては異例である、大量の如来および菩薩像を有する敦煌莫高窟に注目した。この石窟は、隋時代第二期諸窟(589~613年頃)に西安との結びつきが密接になったことが知られ、その点でも敦煌莫高窟諸窟の分析は、西安初唐仏教美術の復原に有効な情報を提供すると思われる。隋時代第3期諸窟から多くの形式を継承した初唐窟を代表する第57、322窟だが、これら2窟に見られる最大の変化は、南北壁に多数表現されていた浄土世界が、阿弥陀浄土や弥勒浄土といったように明確に限定され始めたことであった。また浄土往生の具体性が増し、それに伴い塑像表現も以前には見られないほどリアリティーの獲得を目指し始めた。隋時代華北地方北部では、旧北斉領においても旧北周領においても、如来や菩薩の姿を西方に典拠を求めるのではなく、現実に存在しそうな頼りがいのある自国の人物として表すようになった。この時点で、仏の絶対性が薄れその存在が人間のイメージに近づいたと考えられるが、唐時代に入り、具体性がさらに追求された結果、仏像の世俗化が進むこととなった。その結果とくに菩薩像の場合、神性や絶対性が弱まる傾向が認められる。南北壁に阿弥陀浄土と弥勒浄土を描く形式は、おそらく西安など中原地方より伝えられたと考えられる。初唐時代に入り、とくに第322窟に見られた仏像の世俗化も、中原地方(西安)の仏教美術の様相を反映しているに違いない。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は、初唐時代に形成されたと考えられる統一美術様式、形式がいかなるものか、それがいつ頃形成されたかを明らかにするために、敦煌莫高窟初唐窟の分析を通してそれを考察するものである。本年度は、敦煌莫高窟の調査をおこない、多くの窟に実際に入って調査をおこなった他、初唐時代初期を代表する第57および322窟の分析をおこなえたことから、順調に研究が進展していると評価できる。
|
Strategy for Future Research Activity |
今後は、敦煌莫高窟の初唐時代後期の研究を推進する一方、敦煌莫高窟以外の初唐時代の仏教造像に関する研究をおこなう。
|
Research Products
(2 results)