2012 Fiscal Year Annual Research Report
統一様式としての「初唐美術様式」の形成ー地域性の喪失に注目して
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22520092
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Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
八木 春生 筑波大学, 芸術系, 准教授 (90261792)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
小澤 正人 成城大学, 文芸学部, 教授 (00257205)
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Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2013-03-31
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Keywords | 敦煌莫高窟 / 初唐前期第1期諸窟 / 初唐前期第2期諸窟 / 西方浄土変相図 / 第220窟 / 弥勒浄土変相図 / 西安初唐美術 / 第57、322窟 |
Research Abstract |
本年度は、敦煌莫高窟における唐前期第1期窟の代表とされる第57、322窟および、第2期の中心的な窟で、大画面の変相図が開始したことで知られる第220窟についての研究を主におこなった。まず第57および322窟の最大の特徴としては、南北壁に描かれる主要なチーフが西方浄土や弥勒浄土といった特定の浄土図に限定され始めたことにあった。また浄土往生の具体性が増し、それに伴い塑像表現も以前には見られないほどリアリティーの獲得を目指し始めたことを明らかにした。隋時代華北地方では、仏の絶対性が薄れその存在が人間のイメージに近づいたと考えられるが、唐時代に入り具体性がさらに追求された結果、仏像の世俗化が進んだ。南北壁に阿弥陀浄土と弥勒浄土を描く形式は、第276窟の存在などからも明らかなように、西安など中原地方より伝えられたと考えられる。初唐時代に入りとくに第322窟に見られた仏像の世俗化も、中原地方(西安)の仏教美術の様相を反映しているに違いない。そして、このような状況において、敦煌莫高窟で642年に大画面の変相図が出現したのは、直接的には当然西安など中原地方からの影響であったと考えられる。しかしそれを受容するにあたって敦煌莫高窟では、そこに石窟を造営した人々の仏教に対する態度が変化し、中原地方からの情報を受容できる素地ができあがっていたと考えられる。第322窟において、すでに写実性が求められ、新たな時代様式の胎動が認められる。だが大画面の経変相図という新形式の出現は、今、阿弥陀如来や弥勒如来より救われたいというものから、死後それら如来の下へ赴くという気持ちへ人々の浄土往生に対する感覚が大きく変化する必要があった。そして敦煌莫高窟では、第220窟で隋時代の仏教美術の影響から完全に脱却しそれが初めて現れたのである。
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Current Status of Research Progress |
Reason
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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Research Products
(4 results)