2012 Fiscal Year Annual Research Report
ウェールズ国文学の誕生から見る国民国家形成期における口承の位置づけと民衆観の変遷
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22520304
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Research Institution | Shizuoka University |
Principal Investigator |
森野 聡子 静岡大学, 情報学部, 教授 (90213040)
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Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2014-03-31
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Keywords | マビノーギオン / 国文学 / 民衆 / 国民国家 / ブルー・ブックス / ウェールズ / ナショナル・アイデンティティ |
Research Abstract |
平成24年度は、19世紀におけるウェールズのナショナリズムと、それに連動した「国文学観」の形成においてターニング・ポイントとなったとされる『ブルー・ブックス』(1847年刊)の影響について、当時の史料をもとに検証した。連合王国政府の視察官がウェールズの教育状況についてまとめた教育白書、通称『ブルー・ブックス』は、ウェールズ語を母語とする民衆の教育程度やモラルの低さを弾劾したものとして、ウェールズ人の民族意識を刺激し、これまでの国教会・上流階級を中心としたウェールズ文芸復興から、非国教会派による「民衆」(ウェールズ語で「グウェリン」)のための文化運動への転換を促したというのが通説である。しかし、『ブルー・ブックス』公刊後の国教会派・非国教会派の知識人たちの言説を検証した結果、そのような単純な図式があてはまらないこと、また当時「グウェリン」という言葉は民衆について使用されておらず、19世紀末の脱産業化の動きの中で生まれた「グウェリン」賛美が、後世の研究者によって、『ブルー・ブックス』当時の文化的ナショナリズムの読み直しに使われていることが判明した。こうした発見は、言語ナショナリズムを基調とする、ウェールズ内の研究者にとっては見過ごされがちな点であり、外部からの視点を持ち込むことによって、貢献できたと考える。以上の考察は、日本ケルト学会のジャーナル『ケルティック・フォーラム』第15号(2012年10月刊)に査読論文として掲載された。 平成25年3月にはウェールズのカーディフ大学ウェールズ語科に約2週間、滞在し、フォークロア研究の第一人者であるジュリエット・ウッド博士、マビノーギオン研究者のダイアナ・ロフト博士らとの研究交流を行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究の目標である、19世紀の国民国家形成期における「ケルト周縁地域」での「国文学」の制度化に関し、これまでの研究期間で、ウェールズとスコットランドを中心に、「国文学観」の違いと、その背景としてのローマ帝国の伝統との関連が明らかになった。ローマ支配の外にあったスコットランドで、「オシアン」を中核とした民衆の口承文芸が賛美されたのに対し、18世紀末のウェールズ文芸復興を支えたウェールズ知識人は、ローマン・ブリテンとのつながりをアイデンティティの一部とし、「書きコトバ」と職業的バルドの宮廷詩を重視した。一方、19世紀に入ると、イングランドや大陸ヨーロッパにおけるロマン主義の風潮を受けて、ウェールズでも「ウェールズのオシアン」として、中世ウェールズ散文説話「マビノーギオン」に注目が集まるようになる。しかし、その際も、これらの作品は、民衆と言うより、バルドの伝統の一部であることが強調されている。 このように同じケルト語圏でも、「口承の存続=民衆の記憶」を国文学とするか、「書かれた文学」を正典と考えるかは地域によって異なっており、それが、自己の民族的ルーツや帰属意識をどこに求めるのかというナショナリズムと大きく関わっていることが明らかになってきたため、研究はおおむね順調に進行していると判断する。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は、中世ウェールズ説話「マビノーギオン」の受容史において、「民衆」「口承」と言った概念がどのように関連していくのかを調査する予定である。現在、19世紀末において、「マビノーギオン」が「ケルト神話」として解釈されるようになったこと、その背景として、当時のインド=ヨーロッパ語族の比較言語学の進展があったことが判明した。神話とは、民族の信仰の物語であることから、その延長線上で「マビノーギオン」を広義のフォークロアとみなす解釈が登場することが予想される。その一方、他のケルト語圏と異なり、ウェールズでは民話収集やフォークロア研究のスタートが遅かった点についての考察も研究課題となりそうである。 本研究では、以上のような具体的な調査を通じて、少数言語地域として一つのカテゴリーのように扱われることの多い「ケルト語圏」の文化やナショナリズムの多様性を明らかにすることを研究成果の一つと考えている。そうした差異の背景となる歴史的・政治的・文化社会的要因を解明すること、とりわけ、イングランドとの関係性(支配・被支配、文化人との交流等を含む)を明らかにすることで、連合王国という国民国家、その構成員としての国民、国語、国文学といった諸概念の編制についても研究を広げていきたい。
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Research Products
(3 results)