2011 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
22520683
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Research Institution | Prefectural University of Hiroshima |
Principal Investigator |
松井 輝昭 県立広島大学, 人間文化学部, 教授 (70310836)
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Keywords | 日本史 / 思想史 |
Research Abstract |
厳島大明神は中世前期までは菩提心を付与し、極楽往隼の願いを叶えることで著名であったが、室町時代後半には福徳の願いに答える神として知られるようになった。つまり、厳島神社が新たに弁財天信仰の霊場としての性格を持つようになったのである。 本年度は、厳島大明神が福徳の願いに答える神へと転換した背景について、厳島における高野山流の真言宗の優勢化や吉田神道の広がりに手掛かりを求め、「厳島の本地」などの厳島縁起が成立した要因を探ることをとおして検討した。このことについて、前年度に得られた成果をも踏まえると、以下のような四つの見通しを得ることができた。 (1)「流れよった神」である厳島大明神は、大鳥居の前面の海に想定されていた竜宮と密接に関わる。 (2)厳島大明神が「龍女」であるとの理解が、龍灯現象をも伴いながらすでに中世前期から見られた。 (3)早くから厳島神社に見られた龍女信仰が、中世後期になると楽天的な弁財天信仰に読み替えられた。、(4)熊野修験が「厳島の本地」の成立だけでなく、弁財天信仰とも深い関わりがあると考えられる。 なお、高野山流の真言宗は中世後期になると厳島で優勢になるが厳島神社の弁財天信仰の広がりについても側面的に支援した可能性が考えられる(高野山の弁財天信仰については未調査であるけれども、厳島神社の弁才天信仰に関わる文献が同所に伝わっている)。吉田神道の場合、厳島神社の社家と深い関わりを持つのは戦国時代後期であり、同神社の弁才天信仰の定着とは直接的な関わりはない。ただし、吉田神道も弁財天信仰を受け入れているし、室町時代後期には隣国の守護大名大内氏と交わりがあるから、厳島神社の弁才天信仰と無関係とはいえないだろう。 以上の厳島神社の弁財天信仰に関するものだけでなく、神仏習合の進展に関わるその他の見通しについても、明年度前半には発表したいと考え準備を進めている。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
高野山の教線が戦国時代になると優勢になるが、これが厳島神社の弁財天信仰とどのような関わりがあったのか、その手掛かりを容易に見出すことができなかった。しかし、吉田神道と高野山との関わりの深さを知り、両者の教線が室町時代後期から厳島に延びていたことを考え合わせると、この問題を解く糸口をようやく見つけることができたように思われる。
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Strategy for Future Research Activity |
高野山大学図書館などで弁財天信仰を含めた、厳島に関する調査を推し進めることによって、厳島神社の神仏習合観の変容について展望が得られるとの確信を持つようになった。本年度の前半は厳島神社と熊野信仰との関わりだけでなく、高野山・吉田神道との関わりをも調査・研究し、所期の成果をえるための努力をしたいと考えている。
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Research Products
(2 results)