2010 Fiscal Year Annual Research Report
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22520702
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Research Institution | Nagano National College of Technology |
Principal Investigator |
中澤 克昭 長野工業高等専門学校, 一般科, 准教授 (70332020)
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Keywords | 日本史 / 中世史 / 鷹狩 / 狩猟 / 鷹書 / 家業 / 持明院家 |
Research Abstract |
近世には、持明院と西園寺の両家が「鷹道」を「家業」にしていたと考えられており、現在知られている鷹書には、その両家にかかわるものが少なくない。本研究は、両家と鷹狩とのかかわりを軸に、中世の貴族社会における鷹狩の実態とその家業化の過程について探ろうとするもので、本年度は持明院家の歴史とその鷹書について調査した。持明院家が中世前期から鷹の家だったとされてきた根拠は、『尊卑分脈』のなかに持明院家の祖「基家」に「鷹」を「家業」としたという注記を付した本があることと、永仁年間に持明院基盛が著した鷹書として知られている『基盛朝臣鷹狩記』(『続群書類従』第19輯中所収「基成朝臣鷹狩記」)である。しかし、『尊卑分脈』の家業に関する注記は、後世(何らかの意図により)付されたもので、「基家」の家業に関する注記も16世紀以降に加筆されたものである可能性が高く、持明院家が中世初期から鷹を家業としていたことを証する史料にはならない。また、『基盛朝臣鷹狩記』も基盛の著作とするには不審な点が多い。同書の原本は知られていないが、『九条家記録』「九条満家引付」のなかに永享2年(1430年)書写の同内容部分があり、今のところこれが最古写本とみられる。そこには「持明院」の家名も「基盛」の署名も見えない。他の諸本の調査結果からも、この『鷹狩記』の成立と持明院家は一旦切り離して考えなければならないことがあきらかになり、あらためて『鷹狩記』本文に登場する人物などを調べた結果、本来持明院家の鷹書ではなく西園寺家の鷹書であったこと、著者は西園寺実兼であったと考えられることが判明した。では、持明院家はいつどのようにして鷹の家になったのか。注目すべきは、16世紀前半の持明院基春とその子基規である。今後は、この父子の著述・書写活動のなかに鷹書を位置づけ、その成果が子孫にどのように継承されたかを探る必要がある。
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[Journal Article] 狩猟と原野2011
Author(s)
中澤克昭
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Journal Title
日本列島の三万五千年-人と自然の環境史-(湯本貴和編、文一総合出版)
Volume: 第2巻(野と原の環境史)
Pages: 201-225
Peer Reviewed
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