2013 Fiscal Year Annual Research Report
カナダにおける日系ガーディナーの歴史的展開と他民族との関係性をめぐる研究
Project/Area Number |
22520808
|
Research Institution | Ritsumeikan University |
Principal Investigator |
河原 典史 立命館大学, 文学部, 教授 (60278489)
|
Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2015-03-31
|
Keywords | カナダ / 日系 / ガーディナー / 鳥取 / キツラノ / バンクーバー日系ガーディナーズ協会 |
Research Abstract |
1959年に結成されたバンクーバー日系ガーディナーズ協会について、その第1期会員は22名であった。その内訳をみると、初代会長や後の第4・5代会長ら鳥取県出身者が最も多く、6名を数えた。彼らの多くが戦前からの経験者で、そのほとんどは県の最西部に位置する弓ヶ浜半島出身者であった。 1867(慶応3)年に上道村(現在の境港市)に生れた足立儀代松は、1892(明治25)年にカナダに渡った。3年間の滞在後、帰国後に故郷でカナダへの渡航を説いた彼は、1895(明治28)年に14名の移民団が率いてカナダへ渡ったのである。カナダ西岸における主要産業であったサケ缶詰産業において、閑散期になる秋から翌春には落葉やコケ類の除去などを担うガーディナー(庭園業)の需要があった。後発のカナダ移民であった鳥取県出身者は、この生業に活路を見出した。 “BC Directory”(1941)と『在加奈陀邦人人名録』(1941)を併用すると、当時バンクーバーでは173人がガーディナーに就いていた。そのうち最多は鳥取県出身者で、それは全体の18%となる26人であった。ガーディナーの多くは、フレーザー・クリーク南岸のキツラノ地区やフェアビュー地区に居住することが多かった。当時の両地区はバンクーバーの縁辺部にあたり、その後背地では住宅開発が進展し、顧客が次々に生まれていたのである。 1941年当時、キツラノ地区には100世帯の日本人が居住していた。彼らの出身地をみると最多は36名の滋賀県出身者で、29名の鳥取県出身者がそれに続いていた。前者については12名が製材業に従事し、ガーディナーは7人である。それに対し、後者はほぼ半数の15名がガーディナーである。ガーディナーの総数は36名を数え、製材業の23名を上回っていた。つまり、キツラノ地区は、鳥取県出身者を中心とするガーディナーの集住区だったのである。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
この研究では、①カナダ日系ガーディナー史における時期区分の再検討、②各時期における最適な事例の実証研究、③庭園業から造園業への発展に関わる日本・カナダ・アメリカとの人的・技術的交流を到達目標としている。4年目を終え、4期に時期区分することの妥当性をほぼ得ている。事例研究についても、第1・2・3期について事例研究を重ねてきた。今年度は、現在に直接繋がる第4期の事例を把握し、研究をまとめたい。
|
Strategy for Future Research Activity |
第2次大戦後の第4期については、バンクーバー日系ガーディナーズ協会の設立時である1959年におけるバンクーバーの日系ガーディナーの居住地を明らかにする。その場合、“BC Directory”(1959)を精査する。そのとき、戦前に発行された同資料や『在加奈陀邦人人名録』(1941)なども併用し、日系ガーディナーの歴史的継承性について考察する。 バンクーバー日系ガーディナーズ協会では、基礎的なアンケート調査は終えている。今年度は、同協会の創設55周年にあたり、研究成果の一部は協会にも還元したい。
|
Research Products
(10 results)