Research Abstract |
スポーツ空間が形成される過程において,「甲子園」というある特足の場所が「(高校野球の)聖地」と称される背景を明らかにするために,スポーツにおける「聖地」の定義について検討した.その際,宗教人類学における「聖地」の定義を援用し,「甲子園」に焦点をあて,甲子園が「聖地」と称される条件を,宗教人類学における「聖地」の定義と比較し,(1)場所を移動しない(場所の永続性),(2)ネットワークを形成する,(3)夢見の場所である,(4)感覚の再編成が行われる,という4点をスポーツ空間における聖地の定義(仮)とした.加えて,甲子園がいつから聖地と称されるようになったのかを,甲子園での野球の様子を伝える新聞記事を対象に,検討を行った.現在は,大会が開催される3月,8月の前後3ヶ月について,1915年(第1回大会)~1970年の分析が終わったところである.この間,聖地と甲子園が称される記事は,管見では見つからていない.しかし,甲子園が高校野球にとってある特別な場所(=舞台)である記述が多くなされている.まだ,高校野球において何らかの問題が生じたとき(不祥事など),甲子園や高校野球の聖性が強調される記事が見受けられる.この傾向は,分析中である1970年以降の記事に大きく表れている.また,スポーツ空間の聖地の定義(仮)とこれらの記事の内容を照らし合わせることにより,定義づけを再検討する必要がでてきている.一つには,高校野球あるいは日本における「野球」というスポーツがもつ文化性について検討しなければならないからである.高校野球あるいや野球における勝利至上主義,職業として「野球」が成立することによって,選手にとって甲子園が非常に価値ある大会になっている.このような選手が,「甲子園」でプレイすることの意味は,大会が開始された時代から大きく変化しそいると思われる.このような開題点を含あ,スポーツ空間における「聖地」の定義が,すべてのスポーツに適応できるものなのか,野球というある特定のスポーツだけなのかについて検討することが,課題として残った.
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