2010 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
22720143
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Research Institution | Takasaki City University of Economics |
Principal Investigator |
大村 和人 高崎経済大学, 経済学部, 講師 (80431881)
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Keywords | 中国文学 |
Research Abstract |
中国南朝時代に流行した「艶詩」群の一つである楽府「白紵舞歌」には宴席上の舞が描かれるが、そこに鳥の比喩が用いられることが多い。同時期のその他の作品でも同様である。本年度はまずこの特徴的比喩の淵源を辿った。その結果、その比喩は祭祀歌を淵源とすることが判明した。祭祀において、神霊を降臨させる舞を舞う者は鳥の羽を身につけており、その様子は古代祭祀歌にも歌われていた。祭祀においては神霊を降臨させて饗応し、祭祀する側の人々が和合し、福祥を得ることが目的とされた。現存最古の「白紵舞歌」の舞の描写にも鳥の比喩が見られると同時に、この舞は神霊を降臨させ、人々は和合する、という句も見える。以上のことから、「白紵舞歌」の舞の描写における鳥の比喩とは、作中の舞に祭祀における舞を重ね合わせ、作品が制作されたであろう宴あるいは王朝の人々の和合を言祝ぐものであったと考えられる。 上記の作品の他にも、.南朝時代の「艶詩」の中には祭祀および祭祀歌を淵源とする作品が見られる。例えば、南朝梁の詩人、徐勉が残した「迎客曲」「送客曲」という一組の作品である。研究の結果、各々の作品の淵源は祭祀歌の「迎神歌」「送神歌」であることが判明した。従来、宗教社会学の研究において、祭祀を含む儀礼とは、日常とは異なる場であると考えられてきた。また、徐勉の伝記が伝えるエピソードから、彼が宴についてもただの娯楽や一行事として捉えるのではなく、日常と隔絶した特別な場と捉えていたことが分かる。彼の「迎客曲」「送客曲」には、宴と日常との間に一線を引こうとする彼の思想が表れていると考えられる。更に重要なのは、そのような宴の場で多くの「艶詩」が制作されたことである。 従来の研究では南朝時代の「艶詩」はそれまでの詩歌や文化の「伝統」から乖離した頽廃的なものとして考えられてきたが、本年度の研究成果はその説に大いに再考を促すものである。
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Research Products
(2 results)