2022 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
22F32005
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
齋藤 希史 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 教授 (80235077)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
JIN XIN 東京大学, 人文社会系研究科, 外国人特別研究員
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Project Period (FY) |
2022-07-27 – 2024-03-31
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Keywords | 六朝詩体 / 唐代 / 仄韻律詩 / 韻律 / 斉梁体 |
Outline of Annual Research Achievements |
初唐に成立した近体詩には、平声押韻のものがほとんどであるが、盛唐以降、声律を用いる仄韻詩も多く見られ、先行研究では「仄韻律詩」と見なされる。ただし、「仄韻律詩」の標準型に対する認識が異なっている。「仄韻律詩」は律句の平仄配置と反法・粘法を遵守するほか、上句の末字は平声と仄声を交互に排列すべきである(=平仄型)という説があり、また「仄韻律詩」は平韻律詩の上・下句を互いに交換する型であり、すなわち上句の末字が全て平声である(=全平型)という説、さらに盛唐から中・晩唐にかけて、前者が後者へと変遷した説もある。 以上の諸説を検証するために、まず「仄韻律詩」が作られる場に注意したい。例えば科挙の応試詩、探韻の応製詩、輓歌の連作などでは、同題の作に平韻詩と仄韻詩が共にある場合、平韻詩が全て律詩であれば、仄韻詩も「仄韻律詩」だと考えられる。しかし、このような「仄韻律詩」になるはずの作品は、声律が整っておらず、前述した二種の標準型に合わない場合が多い。 考察の範囲を広げ、初唐から晩唐にかけての二千首余りの仄韻詩を調査した結果、声律を意識する作品は多くあるものの、二種の仄律標準型に合うのは稀にしか存在しておらず、とりわけ仄律標準型の全平型に合致するものは皆無に近い。 したがって、前述の諸説はいずれも正確とは言えない。「仄韻律詩」はおそらく平韻律詩と対等の概念ではなく、むしろ律詩成立以前の斉梁詩に近いだろう。例えば唐人の仄韻詩では、しばしば律句の平仄配置や反法・粘法に違反する一方、40%以上の上句末字は平声と仄声が交互に排列している。この特徴は斉梁詩に遡ることができる。唐人は律詩を完成させた後でも、なお「斉梁体」を模擬し、斉梁詩の声律を継承・発展していく。このような斉梁詩模擬の動向に、「仄韻律詩」を位置付けるべきではなかろうか。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
第一年度の研究は、「六朝詩体」の二段階および仄韻詩をめぐって考察し、基本的に当初の計画通り進めたと思う。「六朝詩体」は、初唐における近体詩の完成を境目として前後二つの段階に分けられるので、両者の特徴を分析し、それぞれが日本漢詩に与えた影響を検討した。とりわけ仄韻詩における声律意識を切り口として、六朝詩と唐人の六朝詩模擬作を考察し、従来あまり注目されていなかった「仄韻律詩」の問題を明らかにした。いわゆる「仄韻律詩」は、実は平韻律詩と対等の概念ではなく、唐代の斉梁詩模擬の動向とより緊密的に繋がっていることを発見した。その一部の成果は、「唐代の「仄韻律詩」について」を題目とする東方学会令和四年度秋季学術大会の口頭発表、および『日本中国学会』第75集の掲載予定の論文によって反映している。このような「仄韻律詩」は、実は日本の平安時代の漢詩にも見られる。日本漢詩における仄韻詩の声律は、唐代詩人の作に影響を受けたことがわかる。この点は、これから執筆する論文の一部としてまとまると考えている。
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Strategy for Future Research Activity |
今後の研究は、二つの手がかりによって展開したい。 その一は、唐・殷[王番]編『河岳英霊集』、特にその所収する劉慎虚の詩である。劉慎虚はあまり律詩を作らなかったにもかかわらず、殷はその詩を「声律の婉態、其の右に出ずるなし。……永明より已還、江表に傑立すべし」と評する。殷がいう「声律の婉態」はどのような意味であるのか。六朝詩の声律とどのような関連があるのか。まずはこれらの問題を解答したい。また、『河岳英霊集』は平安時代の日本漢詩に大きな影響を与えたと思われるため、劉詩における「声律の婉態」も平安時代の日本人に注意されたようである。それでは、平安時代の日本漢詩は、劉詩のように律詩の声律と異なる「声律の婉態」を模擬したことがあるのか。この点を深く考察したい。 その二は、空海編『文鏡秘府論』に載せた六朝声律説とその日本漢詩への影響である。空海による『文鏡秘府論』の編纂には、実は弟子たちの詩文創作の参考に資するという目的があったため、その載せた六朝声律説が多少なりとも後の日本漢詩の創作に導入されたはずである。この推論を検証するために、『文鏡秘府論』編纂後の日本漢詩、とりわけ空海自身の実作を詳しく調査したうえで、『文鏡秘府論』の六朝声律説と「六朝詩体」の関係、および日本漢詩に対する影響を究明したい。
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