2021 Fiscal Year Annual Research Report
日本放送協会「中国語講座」からみる日中交流のメディア史
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21J23610
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
温 秋穎 京都大学, 京都大学大学院教育学研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2021-04-28 – 2024-03-31
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Keywords | 中国語教育 / メディア研究 / 言語使用 / 日中関係史 |
Outline of Annual Research Achievements |
2021年度前期には、まず、修士論文の内容の一部を、日本マス・コミュニケーション学会(現・日本メディア学会)2021年度春季大会の個人発表において「戦前放送中国語「支那語講座」のメディア史―実用語学講座から対内広報のメディアへ」と題して報告を行った。また、前期課程で考察した「支那語講座」の講師の元外交官の岩村成允を中心として、中国語が当時の外務省の情報活動にいかに活用されたかを中心として調査を行い、その成果をEAJS(ヨーロッパ日本研究協会)第16会大会の歴史パネル29「貫戦の日本史のなかの中国」 において、「Utilizing the Chinese Language in Japan’s Intelligence Activities 1897~1930s: A case study of MOFA officer Iwamura Shigemitsu」のテーマの研究報告を行った。学会で得られた質問とコメントを活用し、この研究を『京都大学大学院教育学研究科紀要』第68号に掲載させた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は、放送メディアの「中国語講座」をとりまく近現代日本の情報空間及びその変遷を、日中交流の視点から解明しようとするものである。博士前期課程では、放送メディアの日本放送協会「支那語講座」を研究対象として、中国語という他者の言語を想像する政治を放送局と当時の中国語教育の周辺から考察した。2021年度の研究は、博士課程前期課程で掘り下げた問題意識と一貫しており、放送メデイア「中国語講座」およびその周辺を主な研究対象としていた。 戦後1953年に新しく発足したNHKラジオ「中国語講座」については、番組の状況や講師の担当者、また、戦前から戦後にかけて中国語に対する言語的認識の変化などを主要的な問題意識にしていた。そのため、まず東京のNHK放送博物館と国立国会図書館において関連する資料をより網羅的に調査した。この初歩的な考察を中国語に対する認識という問題に絞り込み、京都大学人文科学研究所・現代中国研究センターの研究会において「「中国語」という思想問題の戦前から戦後へ―日本放送協会「中国語講座」をてがかりに」という報告を行った。研究会から得られた質問とコメントを意識しつつ、この研究の補足調査として東京大学東洋文化研究所の図書室と早稲田大学図書館などに訪問して、現存する1950年代から1960年代にかけて発行されたNHKラジオ・テレビ「中国語講座」のテキストの原本をほぼ全部確認することができており、テキストから番組の体裁・内容と中国語の表記問題を中心として考察した。また、NHK学術トライアルの制度を利用して1980年代末のテレビ「中国語講座」の番組の映像資料を調査した。
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Strategy for Future Research Activity |
本年度の研究を通して、以下の問題を今後の研究の出発点として意識するようになった。 ①戦前の中国語学習雑誌について 戦前の中国語という知の流通状況を理解するため、日本放送協会のラジオ番組「支那語講座」のほか、1930年代に創刊された一系列の中国語学習雑誌と軍用中国語の教本の存在は看過することができない。1930年代、日本における中国語教育の専門家である外国語学校・高等商業学校などの現役の教師たちが、『支那語』、『支那語雑誌』、『支那語と時文』などの学習誌を創刊した。旧来の中国語教科書を革新しようとする1920年代の動きも受け継いだこれらの学習誌が、戦時下の中国語ブームで中国語学習にいかなる性格を付与していたかはこれまでの研究で十分に検討されていない。また、これらの学習誌を通して、当時の中国語学習ブームのなかで、どのような学習者がいかなる「支那語」「満洲語」を求めたか、というような学習者の像の一端を解明することができる。 ②戦後における中国語学習と倉石中国語講習会・中国語友の会 占領期が終わった以降の1950年代の半ばから、中国語学者の間で、戦時下で「支那語」が戦争に協力した責任が問われ、新しい中国語の教育法が模索されつつあった。中国語の専門家は刷新された大学の制度で中国語教育・中国研究の形を作り、また、新しい中国語教育方法の創出にあたって大学生と民間人の協力を求め、そこで多くの反響と支持を得られた。民間での中国語学習については、とくにそれをリードした倉石武四郎の中国語講習会・中国語友の会の存在が注目に値する。戦後中国語学習の状況を考察するためには、倉石がリードした講習会・友の会・雑誌『中国語』がよい切り口となるだろう。
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