2014 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
23520058
|
Research Institution | Otsuma Women's University |
Principal Investigator |
佐藤 実 大妻女子大学, 比較文化学部, 准教授 (70447671)
|
Project Period (FY) |
2011-04-28 – 2015-03-31
|
Keywords | 中国イスラーム / 清真釈疑 / 金天柱 / 儒教 |
Outline of Annual Research Achievements |
明末(17世紀)以降、中国ムスリムの知識人たちが漢語によってイスラームの思想を表明するようになる。その流れと並行するかたちで、非ムスリムを対象に、自身の信じるイスラームが何ら奇妙でも異様でもないことを主張することで、圧倒的多数である漢族からの疑いの目を払拭しようとする書物が著されるようになる。その嚆矢となるのが金天柱(1690年~1765年)『清真釈疑』である。 金天柱は同書において、漢族である儒家の多くが仏教や道教の習慣に染まっていることを批判し、嘆く。のみならず、彼らが儒教の経典を読むだけで、教義を実践していないことを厳しく非難していた。本研究では、そうした金天柱の儒家に対する批判・非難を担保したのは、一般ムスリムがアッラーを上帝と呼び習わしたことによる、と考えた。アッラーを上帝と呼び習わすことは、ムスリム知識人たちからは問題とされることもあったが、それに反して一般のムスリムはアッラーを上帝と呼ぶことを常とした。一般ムスリムは毎日、その上帝に礼拝を捧げ、日々、上帝をこころに抱くことで、アッラーの教えのみならず、儒の教えをもしっかり実践していることになるのだ。 こうして金天柱は、儒教を奉ずる漢族よりもムスリムのほうが真摯に儒教の教えを実践していることを主張したのである。その主張には、イスラームに対する嫌疑を払拭する意味あいがこめられているのみならず、ムスリム知識人たちがしばしばいう「イスラームと儒教は同じである」という言説の意味内容の一側面を指示していることにもなる。 非ムスリムに対して述べられた釈疑言説が、上帝を媒介にしてイスラームが儒家以上に儒家的であることを説いたという点は極めて興味深く、中国ムスリムの心性を理解するうえで意義あることと考える。
|
Research Products
(2 results)