2011 Fiscal Year Annual Research Report
中等教育に生かすための地域における在日朝鮮人に関する歴史研究
Project/Area Number |
23904004
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Research Institution | 京都女子高等学校 |
Principal Investigator |
高野 昭雄 京都女子高等学校, 教員
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Keywords | 朝鮮人 / 京都 / 山科 |
Research Abstract |
京都と大津にはさまれた現京都市山科区は、鉄道や道路が多く貫通する交通の要衝であり、1931年に京都市に編入された。この地域では、韓国併合直後の1910年代から朝鮮人が居住したが、その労働・生活実態は明らかでなかった。本研究では、その実態を実証的に解明し、歴史的事実に即した異文化理解教育に生かそうと努めた。 本研究では、先行研究の成果を整理した上で、『京都日出新聞』などの新聞記事を精査した。その結果、多くの山科在住朝鮮人が、1914年にはじまる東海道線新線工事、なかでも山科・大津間の新逢坂山トンネル工事や京津電気軌道工事、京津国道改修工事などの土木工事に、土工として従事したことが明らかとなった。これらの工事で、朝鮮人労働者を使用した土木会社のいくつかは、日露戦争時の朝鮮半島における南北縦断鉄道工事や園部綾部間の鉄道工事、宇治川水力発電所工事などで、朝鮮人労働者をすでに使用していた。 1930年代になると、当時活発に行われていた京都市内の土地区画整理事業に、被差別部落の土建業者が、山科地区に住む朝鮮人労働者を使用するケースも出てきた。また、京津国道改修工事に従事した朝鮮人労働者は、出土した車石を周辺住民に譲ることがあった。 山科地区には、すでに1910年代に朝鮮人密集地が形成されていた。これは現京都市内では最初にできた朝鮮人密集地と考えられる。これらの密集地は、戦後の高度成長期まで続いていくが、それは山科地区において、上述したような交通の動脈としての鉄道や道路工事が相次いで行われていたことによる。その他、山科地区では、馬方や職工、牧場の牧夫として、いわゆる「強制連行」期以前から朝鮮人が働き、大正から昭和初期における京都の近代化を底辺から支えていたことが明らかとなった。以上が本研究の成果である。
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Research Products
(2 results)