2011 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
23905001
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Research Institution | 静岡県立浜松南高等学校 |
Principal Investigator |
中山 正典 静岡県立浜松南高等学校, 教頭
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Keywords | 水窪の生業 / 焼畑造林 / 山間地の水田稲作農耕 |
Research Abstract |
<研究目的>天竜川流域の集落およびその周辺における生業を空間的に掘握し、高度経済成長期以前とそれ以後の変容を捉え、天竜州流域の独特の生業空間を記録した。 <研究方法>各種文献史資料を用いながら、地域の生業に係わってきた古老への聞き取り調査を中心に生業空間を把握した。調査地の集落の高度経済成長期までの生業および生業空間を把握し、高度成長期を経て、それらがどのように変質していったかを調査した。 河川流域の独特の生業空間を把握するため、岩手県釜石市および遠野市内の遠野川流域の調査をし、遠野川流域の自然環境と生業の関係を整理して参考にした。 天竜川流域において、中流域の長野県飯田市和田と静岡県浜松市水窪を、下流域では、静岡県磐田市寺谷と静岡県磐田市掛塚を調査地点とした。 <研究成果>和田、水窪、寺谷、掛塚の4調査地点で実地調査に入った。各調査地点において、1/25,000の地形図(山間の集落においては1/10,000の地形図も併用)および1/50,000の土地利用図を利用して、自然地形と土地利用、生業の関係を、聞き取り調査を実施し、統計資料を参照しながら、整理していった。水窪地区は、天竜川流域における山間地独特の農業と林業を展開してきた地域で、昭和30年代まで「焼畑造林」が継続して行われていた。高度経済成長期を経て、林業、畑作による生業が企業誘致した製造業に転換してく過程が明らかになり、山間の河川流域における生業変遷を読み取ることができた。また、山間部の水田稲作農耕が今までの行政史では不明であったが、太平洋戦争以前においても河川流域の棚田の開発、経営は盛んであり、その実態を統計、地形図および聞き取りによって記録することができた。林業においても機械化が進む前の段階の林業技術が把握でき、搬出方法も聞き取りによって記録することができた。
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