2015 Fiscal Year Annual Research Report
ビキニ被災情報の国際的伝達と各国の原子力開発への影響
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24501242
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Research Institution | Tokyo Institute of Technology |
Principal Investigator |
山崎 正勝 東京工業大学, 社会理工学研究科, 名誉教授 (20106959)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
栗原 岳史 東京工業大学, 社会理工学研究科, 東工大特別研究員 (50622544)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2016-03-31
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Keywords | ビキニ / 水爆実験 / 日本 / ヨーロッパ / 米国 / 西脇安 |
Outline of Annual Research Achievements |
1954年3月のビキニ環礁での米国の水爆実験で第五福竜丸の乗組員が放射線被害をこうむった。その実態は自らも調査に加わった西脇安(1918年~2011年)によって欧州に伝えられ、1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」をもたらし、1957年からはじまるバグウォッシュ会議の運動につながった。 本年度は「ラッセル・アインシュタイン宣言」60周年に当たるため、それを記念するシンポジウムを日本科学史学会の年会で行い、日本の科学者の調査活動と、ジョセフ・ロートブラットがビキニ水爆が「汚い爆弾(3F爆弾)」であったことを見抜いたこととの関係などを詳しく検証した。その結果、ビキニの「死の灰」からウラン237が発見されたことだけでなく、ビキニ水爆からの放射性降下物の異常な多さも、ロートブラットの発見に寄与していたことが示された。 また、西脇の渡欧を財政的に支えた大阪の原水禁運動が、西脇安の母親の西脇りかなどが占領終了直後からはじめた、大阪地方に戦後流入した広島の被爆者に対する救援・治療活動に源泉を持つことが明らかにされた。 コスト・ベネフィット論を社会的に理解する西脇の放射線の許容量理解(ICRPも同様)に対して、武谷三男の「がまん量」が、個人を基礎にした人権的視点からのものであることを、対比的に明らかにすることができた。 その他に、1963年の米原子力潜水艦入港に際して、湯川などの物理学者が反対論を展開するなかで、西脇は入港を擁護する発言をしたが、西脇が将来の海上輸送が潜水艦方式で行われると予想していたことが、その理由の一つであったことが資料的に理解された。 西脇は1960年代後半からウィーンの国際原子力機関に勤務したため、第五福竜丸が改修され、夢の島に展示されたことを後年まで知ることがなかったことが関係者の証言で裏付けられた。
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Research Products
(4 results)