2012 Fiscal Year Annual Research Report
ソヴィエト・ロシア建築の全体主義化においてマスメディアの果たした役割の研究
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24820002
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
本田 晃子 北海道大学, スラブ研究センター, 非常勤研究員 (90633496)
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Project Period (FY) |
2012-08-31 – 2014-03-31
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Keywords | 建築史 / ソヴィエト連邦 / ロシア建築 / 全体主義 / 映画 |
Research Abstract |
平成24年度中は、以下の三点のテーマに関する研究を進めた。 第一点は、モスクワ地下鉄建設をめぐって喧伝された「自然の克服」というイデオロギーと、実際のメトロ駅に施された大量の自然の装飾の関係をめぐる考察である。当時の建築家たちの言説形成の場であった建築雑誌における議論を分析していくなかで、そこには「克服すべき混沌としての自然」と、すでに征服され、人為的に完成された「調和の庭園」という二重の自然観、さらにはスターリン期を特徴づける二元論的な世界観が反映されていたことを明らかにした。これらの内容は表象文化論学会において報告したほか、学会誌『ロシア語ロシア文学研究』にも投稿し、掲載された。 第二に、1939年にモスクワで開催された全連邦農業博覧会における、建築を通した民族性の表象の問題を論じた。同博覧会会場には、ソ連邦内各民族共和国のパヴィリオンが建設されたが、これらの建築様式や博覧会建築をめぐる批評等のテクストの分析から、民族の個性の表現が称揚される一方で、伝統的な民族建築は社会主義=古典主義が作り出す共通の構造に対する装飾として、表層的・従属的な立場に置かれていたことを明らかにした。 第三に、同じく全連邦農業博覧会をめぐる表象の問題を、ソヴィエト映画の巨匠グリゴリー・アレクサンドロフの『輝ける道』(1940年)を中心に論じた。本研究の中では、ソ連邦の象徴的中心としてのモスクワおよび農業博覧会という神話を創造するために、アレクサンドロフが現実の建築物のショットの恣意的な接合や、演劇的空間イリュージョンを駆使して、求心的な空間イメージを作り出していたことを指摘した。これらの内容については、インド(コルカタ)で開催されたEast Asian Conference on Slavic and Eurasian Studiesや、日本ロシア文学会において報告を行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
当初の計画では、平成24年度中には、モスクワ地下鉄における自然の形象をめぐる考察と、全連邦農業博覧会における民族建築の分析という、二つの課題に関する研究のみを行う予定であった。しかし両テーマともに、研究開始以前より既に多くの資料の蓄積があり、また議論の大まかな枠組みも完成していたため、比較的短時間で報告や論文にまとめることができた。 したがって24年度の後半には、時間的な余裕を活かし、次年度に予定していたアレクサンドロフの『輝ける道』における、建築と映画の関係についての考察にも着手した。ソヴィエト映画内における社会主義リアリズム建築の表象を論じた試みは世界的にも先例がなく、また本研究員にとっては未知の分野である映画を扱うために、資料収集の面での困難が予想されたが、日露両国のソヴィエト映画の専門家による助言もあり、ごく短期間の渡航調査の中で、効率よく必要な資料をそろえることができた。 なお同内容についてのEast Asian Conference on Slavic and Eurasian Studiesや日本ロシア文学会における報告では、高い評価を得ることができた。現在は両学会でのオーディエンスからの指摘や助言をもとに執筆した論文を、学会誌に投稿中である。 以上の進捗状況を鑑み、本研究は当初の計画以上の進展を見せていると考える。
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Strategy for Future Research Activity |
今後も引き続き、スターリン時代のソヴィエト建築とマスメディア、とりわけ映画との関係を論じていく予定である。具体的には、アレクサンドル・メドヴェトキン監督作品『新モスクワ』(1938年)を取り上げ、そこに描き出されたモスクワ像の分析を行う。その際特に注目したいのが、同映画内に現れるソ連邦最大の建築プロジェクト、ソヴィエト宮殿のイメージである。1935年に採択されたモスクワ再開発計画は、このメガロマニアなソヴィエト宮殿をモスクワの新たな中心とし、そこから放射線状に幹線道路が広がる求心的な構造を基軸としていた。メドヴェトキンの『新モスクワ』は、このような未来都市モスクワの姿を、先取りして示すものであったといえる。しかしそれにもかかわらず、彼の作品は厳しい批判に晒されることになった。そこにはメドヴェトキンの表現手法と、ソヴィエト宮殿が属していた社会主義リアリズムと呼ばれる新たな文化規範との齟齬があったと考えられる。 このような仮説に基づき、本研究では次の二つの段階を追って、『新モスクワ』内に描かれた現在・未来のモスクワ・イメージを考察していく。 第一に、1930年代後半のソヴィエト宮殿をめぐる言説を、主として当時発行された建築雑誌や記念冊子などの中に読み解いていく。モスクワの国立歴史図書館、建築博物館、モスクワ建築大学等に収蔵されているこれらの資料の調査を行い、ソヴィエト宮殿プロジェクトが30年代後半にどのような象徴的意味を担っていたのかを明らかにする。 次に、メドヴェトキンが用いた各種の映像技法の分析を行う。メドヴェトキンは当時の刻一刻と変化する再開発中のモスクワの町並みや未来のモスクワを描き出すために、映像の加工やミニチュアを用いた撮影など、様々な撮影・編集技術を用いていた。これらの表現のどのような点が、社会主義リアリズムの規範と衝突することになったのかを探る。
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Research Products
(5 results)