2015 Fiscal Year Annual Research Report
明治期の東京大学における印度哲学および支那哲学講義の思想的意義
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25370012
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Research Institution | Ochanomizu University |
Principal Investigator |
鈴木 朋子 お茶の水女子大学, 基幹研究院, 研究員 (90622069)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
徳重 公美 お茶の水女子大学, 文教育学部, アカデミック・アシスタント (00648884)
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Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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Keywords | 仏教学 / 中国哲学 / 清沢満之 / 吉谷覚寿 / 島田重禮 |
Outline of Annual Research Achievements |
東京大学において、1886(明治19)年から翌年に、吉谷覚寿が行ったインド哲学(仏教学)、および島田重禮による中国哲学の講義内容を筆記した高嶺三吉のノートを翻刻、分析し、両者の講義における思想的意義を考察した。 まず、吉谷は『天台四教儀集註』をテキストとし、修行とともに教説の理論的究明を肝要とする天台教学の解説を行っている。また、島田においては、中国哲学を西洋哲学と比較し、緩用するという形で解説されがなされている。したがって、両者の講義における思想的意義の一つは、西洋思想を重視する傾向にあった当時の状況に対し、仏教と中国哲学を西洋哲学に比肩するものとして位置づけるための基礎を与えたという点にある。 また、吉谷の講義した天台教学において中心とされるのは、「空仮中」および「十界互具」という概念である。前者は、事物には実体がないため「空」であるが、仮に現象しており、「空」と「仮」とのいずれに偏らない「中」という見方の体得を説くものであり、後者は人や仏など異なる世界が相互に具することを説くものである。島田は、『荘子』の中から「斉物篇」、程明道においては「識仁篇」を中心課題としているが、これらには、自己と他者とは一つのものであり、他者の痛みを自己の痛みと感じる「万物一体の仁」が説かれている。 ところで、吉谷と島田の講義を受けた学生の一人に、近代の代表的な仏教思想家である清沢満之がいる。清沢の思想的基盤となっているのは、あらゆるものは区別をもつ有限でありつつ、無限という一体のうちに包摂されているという万物一体論である。そして、我々は有限と無限という異なる側面を具すものであり、差別と平等といういずれにも偏らない立場から、その倫理思想を展開している。したがって、吉谷、島田の講義における思想的意義の二つ目は、清沢の思想形成における素地となったという点にあることが、明らかとなった。
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