2013 Fiscal Year Research-status Report
中国仏教美術古典様式完成時期としての「則天武后期(655~705)」の確立
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25370127
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
八木 春生 筑波大学, 芸術系, 教授 (90261792)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
小澤 正人 成城大学, 文芸学部, 教授 (00257205)
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Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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Keywords | 四川地方 / 広元皇沢寺石窟 / 梓潼県臥龍山千仏崖摩崖 / 唐時代仏教美術 / 西安仏教美術 |
Research Abstract |
25年度は、四川省広元地区の皇沢寺石窟の編年作業を主としておこなった。第28号窟では、如来立像および脇侍菩薩立像に、西安およびその付近から出土した北周、隋時代造像との間に密接な繋がりを指摘できる。四川地方が553年に、西魏時代末の支配下に入ったこと関係すると思われる。だが、西魏併合以前の成都万仏寺造像との強い関連はあまり指摘できない。これは第28号窟造営時期に、西安およびその付近の仏教造像からの情報量が増大し、広元地区の造像様式、形式に見られる西安および成都からの影響力のバランスに変化が生じたことを示している。弟子像の腕の筋肉表現が、隋時代のものと異なり写実的なり、四川省梓潼県臥龍山千仏崖摩崖造像第2龕との類似形式を指摘できる。梓潼県臥龍山千仏崖摩崖の3つの龕は、どれも貞観8年に彫り出されたと考えられる。第2龕脇侍菩薩立像は、第28号窟脇侍菩薩立像と異なり、若干であるが三曲法を採り片方の膝を曲げる形式なので、第28号窟は貞観8年頃あるいは、ややそれより早い時期の造営だと思われる。第54、55号窟は、第28号窟以上に梓潼県臥龍山千仏崖摩崖造像と近い関係にあるが、第55号には、天龍八部衆がマンゴー系の樹葉と組み合わされた、梓潼県臥龍山千仏崖摩崖造像には見られない形式が出現している。それゆえ第55号窟および第56号窟の造営は、梓潼県臥龍山千仏崖摩崖造像より若干遅く、630年代後半以降であったと考えられる。そして北魏時代に開鑿されたが、なぜか途中で造営が放棄されていた第45窟および第38窟造像は、第28号窟はもとより第55、56龕よりも遅れて彫り出され、西安から出土する650年代~670年頃とされる「印度仏像」銘磚仏や、玄奘の関与によって貞観22年~顕慶3年頃(648~658)に造られたとされる「大唐善業」銘磚仏より若干早い時期、すなわち640年代末~650年代頃に彫り出されたと考えられる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
25年度は、敦煌莫高窟および龍門石窟を調査し、また敦煌莫高窟では、研究会を開催し、そこで西方浄土変相図についての発表を行なうことができた。多数の石窟内部に入って調査するだけでなく、現地の研究者たちとの意見交換をおこなうことから、初唐時代の仏教造像についての情報を多く得ることができ、また今後の研究に対して、多くの示唆を得ることができた。龍門石窟については、日本中国考古学会全国大会において奉先寺洞窟に関する発表をおこない、そこで多くの有益な意見を得ることができた。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は、再度龍門石窟において調査をおこない、また龍門石窟研究院の研究員たちと研究発表をおこなうことを企画している。また敦煌莫高窟へも趣き、盛唐時代の西方浄土変相図の形式変遷について発表をおこなう予定である。 このように、重要な石窟において研究発表をおこない、現地の研究者との交流をおこなうことで、新しい情報や観点を得ることが可能になると考えられる。それゆえ今後も当初の計画通りに研究を進め、遂行を目指したい。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
購入予定であった『慶陽北石窟寺内容総録』(文物出版社)の取り寄せ時間がかかり、購入できなかったため. 書籍購入にあてる。
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