1989 Fiscal Year Annual Research Report
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63520015
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Research Institution | Women's College, Meiji University |
Principal Investigator |
中原 精一 明治大学短期大学, 教授 (30070618)
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Keywords | 南アフリカ / ボ-ア戦争 / アフリカ-ナ- / アパルトヘイト / 南アフリカ共和国憲法 / ウエストミンスタ-条令 / イギリス植民地 / 永久条項 |
Research Abstract |
昨年度は、テ-マにしたがって、1909年の南アフリカ連邦憲法が制定された時点までの、南アフリカの憲法発展についてまとめた。南アフリカ連邦憲法は、ボ-ア戦争によってイギリス人の支配下に入って成立した憲法であるが、植民地憲法に特有の人権条項を欠いた憲法であったから、議会の多数を占めていたアフリカ-ナ-によって、膨大なアパルトヘイト法体系ができあがった。本年度の研究は、この膨大なアパルトヘイト法体系を、南アフリカ共和国憲法が成立するまでの50年間の政治の動きと対象しながら考察した。アパルトヘイト法体系の確立を、ボタ、スマッツ(第一次)時代(1910〜1924)、ヘルツォ-グ、スマッツ(第二次)時代(1924〜1948)、マラン、ストレイダム、ファ-ウ-ルト時代(1948〜1961)の三期に分けて、それぞれの時期につくられたアパルトヘイト法の内容と性格について分析を試みた。この間に、アパルトヘイト法及び憲法に関連して三つの重要な問題があった。そして、それが、1961年の南アフリカ共和国憲法の成立に重要な影響を及ぼしたのである。その一つは、1931年に制定されたウエストミンスタ-条令が、南アフリカの政治、社会に及ぼした影響である。この条令はもともと、イギリスと植民地との絆をつよくするために制定されたものであったが、南アフリカでは逆に作用し、独立憲法制定の遠因となった。二つ目は、連邦憲法に定めた永久条項の効力の問題であった。特にケ-プのアフリカ人の選挙権を失わせるには、この永久条項の削除改正が必要となり、共和国憲法制定への動機となった。もっとも近い共和国憲法制定へのキッカケとなったのは、三つ目の政府と最高裁判所との対立であった。最終的には政府が最高裁判所の違憲審査権を抑えて1961年憲法の制定となり、アパルトヘイト法は、一層拡大されることになった。本年度の研究は以上のことを内容とした。
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Research Products
(3 results)
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[Publications] 中原精一: "南アフリカ連邦憲法(1909年)の成立ー南アフリカ憲法史の展開(1)" 明治大学短大紀要45号. 45号. 1-18 ( 1330)
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[Publications] 中原精一: "南アフリカ共和国憲法(1960年)の成立ー南アフリカ憲法史の展開(2)ー1" 明治大学短期大学紀要. 47号. 1-23 ( 2330)
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[Publications] 中原精一: "南アフリカ共和国憲法(1960年)の成立ー南アフリカ憲法史の展開(2)ー2" 明治大学短期大学紀要. 48号. 1-20 ( 2630)