1988 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
63550455
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Research Institution | Kagoshima University |
Principal Investigator |
土田 充義 鹿児島大学, 工学部, 教授 (60037819)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
揚村 固 鹿児島大学, 工学部, 助手 (70094117)
小山田 善次郎 鹿児島大学, 工学部, 講師 (00041533)
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Keywords | 町割 / 間口 / 宅地割 / 博多街区復元 / 街路 |
Research Abstract |
博多総鎮守櫛田神社所蔵の宅地割図と文章化された宅地の大きさを基に宅地割を復元し、江戸後期(19世紀初)の博多街区を明確にすることを目的に作業を開始した。その結果、海と陸を結ぶ南北街路を主要とし、東西街路を従としていたことが明確となった。それらの街路に囲まれた街区は短冊型で南北に長く、その長さは120間に近い。一方東西方向は60間で、正確に間(1間を6尺5寸とする単位)を単位として設計されていた。それは主要な南北街路の長さよりも街路幅が重要であったことを示している。南北街路の長さの方は宅地割の間口の集積であり、南北街路幅の方向(東西)は宅地の奥行を示す。間口は2間から3間の間の寸法が多いものの一定しないが、奥行は一定していた。したがって、短冊型の街区のうち短辺方向を先に決めて、長辺方向はその倍を目安にしていたことを推測しえた。 南部街路に面して間口を構えていた宅地が十字路の角地では宅地を縦割(南北方向)にして、東西街路に間口を構えることになって互に宅地の拡張を始めた。それは海と陸とを結ぶ南北街路から、城下町福岡と結ぶ東西街路の方に重要さが移行したことを示している。これは博多町人街区を構成する宅地割の変化であり、その変遷過程をたどることができた。巨視的に把握しえても実際に宅地割を図化すると間口の合計が一致しない箇所もあってなかなか困難であった。 今後、現存する町家の間口を実測することで、記録的資料との照合を行ない、修正を試みる必要があるだろう。博多街区の4分の3は戦後の区画整理で街路が変更されたが、これらの部分は以前の宅地割図で捕うことができる。今後試みたいもう一つのことは元禄3年の記録や文化13年の博多絵図に記された軒数と復元した宅地割との照合で、宅地割の分割や統合がいかに行われているか具体的に把握したいことである。
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