Research Abstract |
安部の研究によれば,古典期のギリシャにおいて女性は子供を産むことがその最重要な任務であり,それ以外のまともな社会的機能は当てがわれなかった。男と女は峻厳に分離され,社会全体が女性を抑圧するようにイディオロギ-化され,構成されていた。これが共和,及び帝政期のロ-マにおける女性の現実とどのように比較されるかは,漸く帰国した本村の研究が明らかにしてくれよう。他方,佐藤の研究概観では,古代イスラエル及び初期ユダヤ教においては,女性の位置はおそらく古代ギリシャにもまさって低かった。この社会は徹頭徹尾,父系社会であり,女は子供を製造する道具でしかなく,従って子供のない女は恥辱以外の何物でもなかった。社会の上層に昇り詰めた女性も皆無ではなかったが,全くの例外であった。しかし興味深いのは,そうした父系社会の強圧的伝統と神学のなかで,「女性的」要素が除々に顕著になって来る現象である(捕囚期以後)。この隠れた胎動を全面的に取り上げたのが,荒井によればイエス運動である。しかし初期キリスト教の流れは,やがて再び女性を男性に従属させる方向へ進んでいく。それは「女性の福音書」と呼ばれるルカ福音書においてすら,既にそうである。しかしながら宮本によれば,傍流とはいえ,教父達の中には例えば旧約聖書中の男女の恋愛歌である『雅歌』を,神と人間との関係の次元で考察した人々もいた。彼らは,女性の持つ受動性,繊細さ,出産能力などの特質を,超越者に対する人間の不変的特長とみなし,現実の女性がかえってそれらの特質ゆえに疎外されている状況を打破し,それらを不変的な人間の長所にまで止揚したと言える。 従って,古代における「女性」研究は現代社会を照射する素材となると同時に,特にイエスと教父たちの活動の中に,現代への肯定的変革的メッセ-ジが含有されているように思われる。
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