Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
たん 聰 香港中文大学, 中国考古芸術研究センター, 助教授
チャリット チャニクンチ コンケン大学, 人文科学科, 講師
ハッサン H.アムバリィ インドネシア国立考古学研究センター, 所長
オスマン M.ヤティム マレーシア国立博物館, 館長補佐
新田 英治 鹿児島大学, 教養部, 教授 (00117532)
西谷 大 国立歴史民俗博物館, 考古研究部, 助手 (50218161)
|
Research Abstract |
香港・中国では,各機関所蔵の新石器時代の叩き技法土器を調査し,現在の海南島から東南アジアに広がる土器の叩き技法とに多くの共通点をみ,そのルーツの一つが中国南部にあると予期された。 タイでは,南,東北の地域で,合計17箇所の土器作り村を調査した。その結果,製作技術のうち,第2段階の叩きによる成形,器壁の調査については,焼物のあて具と叩き板の使用で共通するが,第1次成形には,(1)てづくねと棒による円筒,(2)紐輪積み,(3)ろの各技術が記緑された。また,粘土に混ぜる混和材には,(1)籾と粘土の混合物を焼き砕いたもの,(2)砂,(3)なしの違いがある。また,焼成にも(1)野焼き,(2)浅い方形の穴,(3)大きく2種の窯の方法があり,燃料も薪,稲藁,籾穀等がある。 これらを現在の目から段階的に考えるのは危険である。聞き取りによれば,こうした技術が,周辺の開発との生能的な側面や,経済的な側面で容易に変化することが示された。例えば,稲藁や籾穀の使用が木の枯渇により数10年前に始まったことなど。むしろタイの土器作り村の多くが100年前に中央タイのコーラートからの移住伝説をもち,同じルーツから分化した技術が短い期間に各々の環境にどう対応したかを検討するよい資料といえる。中国・福建からの陶磁器技術者の移住による窯とろくろを使用するグループについても同じ視点から技術の変化を系統的に追うことが必要である。 一方で,タイ,クメール,ラオ等,民族の違いをこえて共通の混和材を作る技術が広範囲に広がり,歴史時代にさかのぼる現象も指摘できる。また,性による分業では,土器成形はどこでも女性の仕事であるが,クメールや中国系の陶器作りに基を持つ村では,成形も男の仕事であり,各々の本来のあり方が示されると理解された。
|