1993 Fiscal Year Annual Research Report
19世紀中期の中国における西洋人宣教師の科学啓蒙活動についての基礎的研究
Project/Area Number |
05680066
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Research Institution | Aoyama Gakuin Women's Junior College |
Principal Investigator |
八耳 俊文 青山学院女子短期大学, 教養学科, 助教授 (30220172)
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Keywords | 漢訳西学書 / 遐邇貫珍 / 航海金針 / 神原文庫 / 住田文庫 / 化学 |
Research Abstract |
1.香川大学神原文庫に出張し、同文庫所蔵の写本『遐邇貫珍』20冊を調査した結果、これまで筆者が調査した中で最も多くの号を筆写していた佐賀県立図書館鍋島文庫蔵本より、はるかに完備した写本であることが判明した。同紙は1853年から1856年に香港で発行された華字月刊紙で、『中外新報』や『六合叢談』のモデルになったといわれるが、実際に科学技術関係の記事が含まれていることを確認し、必要箇所を複写収集した。 2.神戸大学住田文庫に出張し、同文庫所蔵の写本『博物通書』を調査した結果、これは『航海金針』の写本と合冊されており、『航海金針』は唐本を筆写したものであることが判明した。『航海金針』は今まで翻刻版をもとに議論されてきたが、唐本では宗教的字句があり、翻刻のさいに削除されたことを確認した。 3.初期の化学関係の中国書について少し集中して調査した。その結果、かつて劉廣定(1987)が「化学」の初出は『重学』であるとの説を発表したことがあったが、『重学』で「化学」の文字を使用した巻19は、1867年に南京で再刻されたときに増補された箇所であり、同説は誤りであることが判明した。この結果は、1994年3月の第10回化学史研究春の学校で発表した。劉氏はおそらく手元の1冊をもとに議論されたのだと推定されるが、あらためて体系的調査の必要性を痛感した。春の学校では、「化学」の由来についても考察し、『遐邇貫珍』1855年10月号で「西国錬化之法」という言葉で「化学」を表している興味深い例を紹介しつつも、特定の言葉が省略されて「化学」となったというより、変化の学との認識から「化学」の造語にいたったとの見解を述べた。
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