1997 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
07451001
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
山形 頼洋 大阪大学, 文学部, 教授 (60030178)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
中岡 成文 大阪大学, 文学部, 教授 (00137358)
鷲田 清一 大阪大学, 文学部, 教授 (50121900)
浅野 遼二 大阪大学, 文学部, 教授 (90030022)
里見 軍之 大阪大学, 文学部, 教授 (50066685)
溝口 宏平 大阪大学, 文学部, 教授 (80116178)
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Keywords | 感情 / 情感 / 情感性 / 情態性 / 意志による行為 / 生 / シェーラー / アンリ |
Research Abstract |
伝統的な哲学は、感情とりわけ情動を理性に対立されて来た。すなわち、理性が真理や恒常性を明らかにするのに対して、情感的な現象は無秩序や無意味なものを表現するに過ぎない、というものである。しかし、現代の哲学者の中には、そのようにではなく、違った仕方で情感性を理解しようとする人々も存在している。シェーラーによれば、我々は情感性においてこそ、ものごとの価値を認識する。つまり、価値の認識は我々の感情の能力に存している、と言われるのである。さらに、ハイデッカーの「情態性」の概念は、我々の情感的な状態が、我々の世界内存在としての在り方を開示するという事実を意味している。そして、内在についての存在論を用いることによって、その開示の存在論的構造を説明するのが、アンリである。すなわち、情感性は、生きる力として、世界に対する根源的な関係を明らかにする。生は、それ自体を情感性において表現する。換言すれば、情動という形で現象化することは、生の存在の起源的な様態なのである。 また、古典的な分析では、情動を描写するために、能動-受動(情念)という、上記とは別の二分法が用いられていることが多い。この区分によれば、情動は受動であり、そのわけはそれが意志的ではないからである。しかし、デカルトが指摘したように、意志による行為(能動)は、それが意図されるためには認識されなければならず、そして何らかの認識が機能し得る唯一の様式が、情念である。先に述べたアンリの内在概念は、意志的行為や努力がいかにして感情や情動として経験されるかを描くことができる。 最後に、情動についての優れた理論が、他者の存在に関する疑問を解決するために貢献するという可能性は大きい。身体の知覚から出発する現象学は、他我に関して我々が有する経験を、うまく説明できなかった。情感性が、理性ないし表象といった知性とは異なる、経験の様相をもつならば、そして情感性が生に直接近づくとすれば、我々が個々に成員として参与する、生の共同体を構想することができる。
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Research Products
(8 results)
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[Publications] 山形 頼洋: "L‘immanence et le mouvement subjectif" Colloque “Michel Henry:L‘Epreuve de la vie"Centre Cujturel International de Cerisy-La-Sall'e,France. (1996)
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[Publications] 山形 頼洋: "The Self or the Cogito in Kinaesthese" Self-Awareness,Temporality and Alrerity ed.by D.Zahavi,Kluwer Academic Publishers. (1998)
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[Publications] 溝口 宏平: "歴史現象の存在論的解釈の可能性について-ハイデガ-の「存在史」を我々はどのように評価すべきか-" 現象学年報. 12. 105-118 (1997)
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[Publications] 里見 軍之: "主観的目的論の帰趨-カントとフッサール" 現象学年報. 11. 111-122 (1996)
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[Publications] 里見 軍之: "超越論的哲学の可能性-カント哲学の位置づけ" メタフィシカ(大阪大学文学部哲学講座). 2. 1-17 (1997)
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[Publications] 浅野 遼二: "脳死の考察-シドニー宣言から脳死臨調までの新しい死の系譜-" カンティアーナ(大阪大学文学部哲学哲学史研究室). 26. 1-26 (1995)
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[Publications] 溝口 宏平: "モラル・アポリア-道徳のディレンマー" ナカニシヤ出版, 233 (1998)
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[Publications] 鷲田 清一: "メルロ・ポンティー可逆性" 講談社、《現代思想の冒険者たち》第18巻, 324 (1997)