2000 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
11610369
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Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
楠木 賢道 筑波大学, 歴史・人類学系, 講師 (50234430)
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Keywords | 満洲 / 八旗 / 清朝 / アイシン国 / 外藩 / ジャサク旗 |
Research Abstract |
(1)入関前のジャサク旗関係資料のデータベースを,満文档案史料『天聡五年档』により,補強した。 (1)上記のデータベースをもとに,天聡5年(1631)に行われた清朝(アイシン国)による明の大凌河城攻城戦の状況を検討し,2本の学術論文として発表した。解明したことは以下の3点である。(i)ホンタイジは、八旗やモンゴル諸勢力など編成母体の異なる17軍団を同じ部隊編成単位として認識し、共同の作戦行動を整然と遂行させ,モンゴル諸勢力に八旗と同じ法・軍規を守らせることにより、彼らに対する支配を強化することをねらっていた。(ii)ホンタイジは、包囲戦を行うことにより、これら17軍団を長期間戦場に釘付けし、共同作業をさせることにより、清朝政権への一体感を喚起しようとした。(iii)この17軍団の布陣は,両黄旗を直属させるホンタイジが権力の中心に位置し、宗室の旗王が残りの6旗を率いて取り囲み、さらにその外縁を外藩モンゴルの諸王がジャサク旗を率いて藩屏として取り囲むという入関前の清朝の支配構造を象徴的に示している。 (3)乾隆後半期から清朝の中央・地方の大官として活躍し,特に藩部経営で手腕を発揮したた蒙古旗人松〓が記した満文の随筆(建議書的性格を有する)『百二十老人語録』の外藩に関する部分(第4巻)の訳注稿を作成した。その結果,蒙古旗人により,内外モンゴルを主要部分とする外藩を支配しようとする基本方針を19世紀初頭の清朝が保持していたこと,すなわち清朝の支配構造が八旗とジャサク旗を連続する部分として内包していたことがわかった。この訳注は,13年度に作成する本研究の報告書で公表する予定である。
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