2001 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
12630084
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Research Institution | KYUSHU UNIVERSITY |
Principal Investigator |
東定 宣昌 九州大学, 石炭研究資料センター, 教授 (90136565)
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Keywords | 唐津炭田 / 石炭鉱業 / 上荷舟 / 松浦川 / 海軍炭坑 / 石炭輸送 / 明治期 |
Research Abstract |
石炭の市場価格は、市場の需給と輸送費と生産費によって決定される。生産費と輸送費の区分は経営形態によって必ずしも一定ではない。明治前期の市場までの石炭の輸送は、切羽(採炭現場)から坑口まで、坑口から川端積場(土場)まで、川端積場から河口積出港まで、河口積出港から需要地までに区分できる。唐津炭田の諸炭坑は炭層の賦存状況において必ずしも優れていなかったにもかかわらず、舟運の便に恵まれたことによって明治前期日本の石炭鉱業の中心地となった。本研究は肥前松浦川の石炭輸送の実態を、1.日本坑法施行後の舟運行政と松浦川、2.明治前期の上荷舟、3.陸上輸送と水陸輸送監督取締について明らかにし、唐津石炭鉱業史の重要点を解明した。 日本坑法施行後の松浦川上荷舟輸送では不正が痕を絶たなかったことと徴税のために厳しい監督が行われた。松浦川の上荷舟は2000斤積みから7000斤積みまで10種類におよぶ多様な上荷舟があった。これらは明治10年前後には約400艘が運行したが、最盛期の日清戦争期には1700艘におよんだ。上荷舟は最上流の鷹取土場から河口の満島まで約15キロをおよそ2日間で往復した。もちろんこうした勤勉な船頭はきわめて少数であった。この輸送賃は石炭1万斤あたり当初1円60銭であったが、明治13年頃には1円80銭に上昇し、満島石炭価格の8%を占めた。ただしそれまでは9.1%を占めていたから相対的には引き下げられた。唐津炭田の輸送価格では上荷舟輸送賃より坑口から河岸までの陸上輸送賃のほうが大きかった。それだけ松浦川輸送は筑豊炭田における遠賀川輸送等に比較して有利であり、この有利さが、明治前期の唐津炭田をわが国石炭鉱業の中心とした。 石炭の上荷舟輸送は明治31年末の唐津興業鉄道の敷設によって徐々にその役割を了えるが、本研究は松浦川上荷舟輸送の実態を初めて明らかにした。
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