2002 Fiscal Year Annual Research Report
墳墓副葬品から見た古代日韓の地域間交流と社会変化についての研究
Project/Area Number |
13610481
|
Research Institution | National Research Institute Cultural Properties, Nara |
Principal Investigator |
高橋 克壽 独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所, 平城宮跡発掘調査部, 主任研究官 (50226825)
|
Keywords | 日韓交渉 / 百済 / 伽耶 / 江田船山古墳 / 馬韓 / 副葬品 |
Research Abstract |
前年度の調査によって、日本の弥生時代終末から古墳時代前半期の日韓交渉の様相を明らかにしたが、今年度は古墳時代後半期の変化を考えるための資料収集に努めた。とくに、伽耶・新羅地域に比べて出土資料の蓄積や検討が遅れている百済、そして馬韓地域の様相の解明が急がれた。それにより、伽耶、新羅同様、百済地域でも4世紀後半から5世紀にかけて馬具や金銅製品に代表される新たな文化が北方から伝播してくることと、それらが、甕棺や周溝墓によって特徴付けられる馬韓地域へ伝えられるのは、百済領域の南方拡大にともなう百済系横穴式石室の浸透が見られる5世紀後半以後であることがわかった。しかし、その時期は前方後円墳が全羅南道に展開する時期にも対応し、栄山江流域が日韓関係において重要な地域となったことが知られる。そこに見られる墳墓には、百済、日本両地域からの威信財が副葬されたり、百済土器や須恵器がもたらされたりした。これは、伽耶がそれまで担っていた日韓交渉の窓口的役割が相対的に減少したのにともない、九州熊本地方と百済とのパイプが時の倭王権にとってそれにかわる生命線となったことを示しており、そのことの一端が熊本県江田船山古墳の副葬品に読み取れるのである。このつながりは、石室の比較研究からすると5世紀前半から存在していたことが明らかであり、もともとあった地域間交流が新たな外交政策のために利用されたにすぎないともいえる。馬韓地域に見られる日本的様相の濃厚な墳墓も、この外交政策が推進されたことを受けたものであった。いっぽうで、従来からの朝鮮半島南部地域から北部九州、山陰、若狭にかけて広がる広範な交流は依然続いており、この新たな外交は中国を射程に入れた倭の外交の一側面を見せるものといえよう。
|
Research Products
(1 results)