Research Abstract |
本年度は,範例的教授・学習理論に関わる先行研究の分析と範例的教授・学習理論に基づく数学授業の教授に焦点をあて,考察を行った。前者においては,大高による「ドイツ科学教育史」(1999),渡邊による「クラフキの「二面的開示」に関する研究」(1994)の2つの学位論文を基軸としながら,ドイツ教授学に関わる筑波大学,玉川大学,広島大学関係者による先行研究の分析を数学教育の視座から行っている。範例的教授・学習とは,範例を通して学習者にとって適切な結節点が形成され,教師・学習者・資源の相互作用を通して次なる結節点に向かうと共に,学習者の理解と陶冶が深まっていくことである。その学習過程では「ある観点から対象を捉えている私を意識すること」「観方の限界を感じること」「私にとっての意味を考えること」など,メタ認知活動ともいえる主体と対象との観点の変換(視座転換),学びの中での「私」の意識が強く促されていく。その背景には,観点の変換により学びが深まることはフレーベルの回帰思考に支えられること(渡邊,1994),「対象→方法→主体」のように学びが深化すること(長谷川,1969)などの考えがある。 また、大高(1999)は1962年前後のヴァーゲンシャインの主張の変化を詳細に分析し,感性的契機,根付き,科学の生成的再発見,即時性を鍵概念とする発生的原理について,範例的教授・学習理論との連続性や最近の科学理論との関わりを述べる。その中で「変容を受けて維持すること」「子どもたちの兆候をつかみ助走を十分とること」「観方に限定されていない現実との出会いを重視すること」「歴史的に問うことを通して子どもたちの兆候を掴み得る教師の力量を高めていくこと」などの教師の役割が述べられる。こうした指摘と算数・数学授業での教授との関わり(後者)について、具体例を踏まえてさらなる考察を行った。例えば,「変容を受けて維持すること」「子どもたちの兆候をつかみ助走を十分とること」の事例として,算数授業において顕著にみられる語り始めの言葉として特徴的な接続詞を用いること,数学授業において内省的な記述を活用することがある。「ねえ,聞いて」「例えば」「つまり」などの特徴的な接続詞は,授業の中で自己と他者の意識や対話,理解とさらなる洞察や反省的思考,思考の連続性や媒介性などの機能をもつ。また,静岡大学教育学部附属静岡中学校で実践されているV図と数学論文の双方を活用した数学授業では,継続的に創られるV図の中に学習者の理解観,数学観,価値観の変容過程がみられること,数学する活動の中での他者や自己の意識を持つこと,教師側の評価とその後の意志決定のための内省的記述の役割を見出すことができる。今後,こうした実践知と理論知との関わりを範例的教授・学習理論の視座から精緻に分析すること共に,数学的活動論について考察を拡げていく。
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