2016 Fiscal Year Research-status Report
初期重症心身障害児施設における療育体制の成立と展開
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15K04543
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Research Institution | Saitama University |
Principal Investigator |
細渕 富夫 埼玉大学, 教育学部, 教授 (10199507)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 重症心身障害児者 / 療育 / 障害者福祉 / 障害者施設 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、重症心身障害児の療育史研究の一環として、昭和30年代後半における初期重症心身障害児施設における療育思想と療育体制を比較検討することにより、重症児療育の黎明期における療育思想及び療育体制の形成・成立・展開過程とその背景要因を歴史的に明らかにすることである。 本研究は以下のように3点の研究課題を設定して取り組んできた。①島田療育園、秋津療育園、びわこ学園の記念誌、周年誌、新聞報道記事等を資料として、療育体制に関する情報を収集・整理すること。②初期重症児施設の療育体制作りにおいてもっとも大きな課題は看護師、准看護師の確保であったことから、初期重症児施設の職員不足を解消するために行われた「おばこ天使」の実態を新聞報道、現地調査等で明らかにすること。③「おばこ天使」として集団就職した女性たちの勤務実態を調査し、関係者の聞き取り調査を行うこと。 ①の療育体制について、今年度は秋津療育園を中心に記念誌、周年誌等を収集し、分析・考察した。草野熊吉が創設した秋津療育園の療育は、「生命保持」「残存機能へのアプローチ」が主な目的であり、その実現に向けて「生活指導」、「訓練」「教育」があるとした。この考え方は、秋津療育園開設趣意書に明記されており、「本園の方針」の中で「教育」を強く意識した記述が認められる。この点で島田療育園が重症児の教育をやや否定していたこととは異なる。療育についてのこうした違いは、島田療育園が日赤小児科という医療的経験を背景として創設されたのに対して、秋津療育園は草野という一個人がキリスト教的思想を背景として創設されたということにあるのではないかと思われる。教育を重視していたものの、実践の主体となる看護婦、指導員、保母等が不足していたため、計画通りの療育活動は実施できていなかったようである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
今年度は、秋津療育園における療育体制について関係資料を調査し、分析・考察した。療育活動が本格的に軌道に乗り始めたのは、運営基盤が措置費という形で補助されるようになった1970年代半ばのことである。それ以前は療育日課も職員の勤務態勢に左右されてしまうことが多く、療育内容にも大きな影響がでていた。 第1期(1960年代前半まで)における療育日課について詳細な資料を入手できなかったが、島田療育園と同じく食事、排泄などの指導を含んだ「指導」と一般の「生活」に区切られていったと思われる。この時期の日課は単なる生活のタイムテーブルであり、単調な生活に区切りとアクセントをつけるという生活リズムの獲得を目指そうとする意図的なものではなかった。 第2期(1970年代前半まで)においても第1期とそれほど大きな違いのない療育日課になっている。午前、午後に保育の時間が約30分から1時間設定されており、ますます「生活」と「指導」の時間区分が整理されてきていることに注目したい。 療育日課が安定した形になるのは、1970年代後半のことである。この頃になると、起床、就寝、食事といった時間の問題が解決されるとともに、「生活」と「指導」という生活の流れを構成する大きな2つの要素を有機的に組むことで障害や投薬によって一日中眠っていることの多い重症児の生活リズムをきちんと作りあげていくことができるという考え方に到達している。秋津療育園における指導形態としては、島田療育園と同様に「集団」という形をとっている。しかし、日常生活の基本となる生活指導や機能訓練に関しては、個別的な対応によって指導を行っている。しかし、職員が慢性的に不足する中での個別的な対応には限界があったと思われる。
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Strategy for Future Research Activity |
今年度は秋津療育園の療育体制について関連文献を整理・分析したので、最終年度の次年度はびわこ学園の療育体制について関連文献を整理・分析する予定である。 びわこ学園は島田や秋津療育園と同様に、1960年代に重症児療育を開始した、わが国でもっとも歴史のある重症児施設のひとつである。びわこ学園は精神薄弱児施設近江学園での療育実践の発展として、比較的障害の重い重症児を対象として設置されたものである。びわこ学園の創設に関しては、糸賀一雄の療育思想が大きな影響を与えている。糸賀の療育思想は端的に言えば「この子らを世の光に」という言葉に表されている。びわこ学園の療育理念は「発達保障」であり、前述の2施設と同様に療育目的、内容、方法等を整理していきたい。 また、びわこ学園が施設での限定的な適応をめざした発達観ではなく、人間的な解放をめざした発達観を基盤にしたことに注目し、びわこ学園の療育実践が国立療養所や義務制実施前の学校教育での実践にどのような影響を与えていったかもあわせて考察していきたい。研究のまとめとして、これら3施設の療育体制づくりに大きな影響を与えていた職員不足問題について、「おばこ天使」の実態、社会的影響等を新聞報道、関連記事等から総合的に分析・考察していきたい。「おばこ天使」については、社会的背景となった東北からの「集団就職」との関係で分析していく。 高度成長期において「集団就職」は「金の卵」と言われ、東北地方から多くの中卒者、高卒者が東京圏に就職していったが、「おばこ天使」報道も福祉分野における集団就職に他ならない。「天使」の美名のもとで過酷な施設労働に東北の女性を送り込んだものと言える。福祉労働の実態を解明しつつ、社会経済的背景要因をも分析し、初期重症児施設の労働実態を解明していきたい。
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