2006 Fiscal Year Annual Research Report
ソヴェト=ロシアにおいてネップ体制に及ぼした1921年飢饉に関する研究
Project/Area Number |
16520437
|
Research Institution | Kanazawa University |
Principal Investigator |
梶川 伸一 金沢大学, 文学部, 教授 (50194733)
|
Keywords | ソヴェト=ロシア / ネップ / 1921年飢饉 / 自由市場 / 商品交換 |
Research Abstract |
本年度は本テーマの研究機関の最終年に当たり、これまでの資料調査に基づきネップの導入と1921年飢饉との関連を包括的にまとめることを主眼とし、最後にモスクワ公文書資料館でこれまでの資料調査での不足分、不明瞭な分に関して補足的、確認作業を行った。従前の作業と今年度の作業を通して、以下のことが明らかとなった。 1.従来学界の通説となっている、ネップの基本路線は21年2月8日にレーニンが執筆した予備的草稿が元になっているとの説は受け入れがたい。なぜなら、3月の第10回党大会決議は原則として予備的草稿の延長にあるが、ネップの方針を決定づけた3月28日づけ自由交換に関する布告はこの方針からの完全な逸脱であり、この間のミリューチン特別委、カーメネフ特別委での審議が重要な意味を持つ。 2.自由交換に関する布告までは、自由市場は播種キャンペーンへの経済的刺戟として設定されていたため、勤労農民に対して税完納後という条件の下で認められていた。しかしながら、同布告によってこの制限は完全に撤廃されただけでなく、都市労働者に対しても割当徴発が完遂されたと認定された地方で、即座に自由取引が認可された。これは播種キャンペーンと結びつけられた自由取引の意味がまったく異なることを意味する。 3.確かに割当徴発は停止されたが、それと同時に割当徴発が持つもう一方の機能、徴収に対する反対給付としての供給制度も同時に停止することをこれは意味した。割当徴発によって地方住民の食糧供給を行っていた地方権力にはすでに食糧資源がなく、特に都市住民の食糧事情は割当徴発の停止にともない急激に悪化した。こうして地方権力はモスクワに食糧支援を訴えたが、いうまでもなくこれら要求はことごとく拒否された。このため、中央権力は飢餓住民に自給を促すしか、飢餓民を救済する措置は残されていなかった。このような住民による食糧自給を制度化したのが、3月28日づけ自由交換に関する布告であった。 4.布告では自由取引が認可される地方が規定されていたが、飢餓住民は一斉にロシア全土で担ぎ屋となって食糧を求めて溢れだした。こうして、自由取引のあらゆる制限が事実上解除され、全国的規模で自由取引が展開された。 5.この自然発生的自由取引の波を組織化しようとの試みが、協同組合商品交換と労働者組織商品交換であった。だがこれは国家商品交換との競合を招き、様々な要因のために国家商品交換はこれら商品交換より不利な条件に置かれたため、国家商品交換はほとんど成果を挙げることができず、商品交換を通して生産物交換へと移行するとの当初の計画も完全に破産し、21年夏にはいわゆるネップ体制が確立する。
|
Research Products
(1 results)