2007 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
16520477
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Research Institution | National Research Institute Cultural Properties, Nara |
Principal Investigator |
小池 伸彦 National Research Institute Cultural Properties, Nara, 都城発掘調査部, 上席研究員 (90205302)
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Keywords | 考古学 / 冶金 / 工房 / 古墳時代 / 古代 / 生産様式 |
Research Abstract |
平成19年度は、7世紀以降の冶金工房の3類型(伝統的工房・大規模集約型工房・新技術による工房)と、古墳時代の冶金工房の類型との比較検討を進め、関連性や系譜を辿り、展開過程の跡付けを試みた。その中で新たに古墳時代の一類型として大県遺跡型を設定し飛鳥池遺跡との関連性を追究し、初期大規模官営工房の成立過程や変遷について考察した。その結果、以下のように律令制確立期から律令期における官営工房の具体的変遷過程が描けることとなった。まず、大県遺跡工房のように、畿内において有力首長層の配下にあった鉄器・鉄素材生産工房は6世紀代に生産のピークを迎え相当な生産規模を誇っていたが、6世紀後葉ないし末にはその工人群(河内手人)は再編されたと見られる。それら再編された工人は、7世紀後半には初期大規模集約型工房の嚆矢である飛鳥池遺跡工房(大和)へと導入され、王権の膝下で上番労働力として初期官営工房である「多角的な大規模協業形式をとる綜合型工房群」(浅香年木、1971年)の重要な一翼を担ったものと考えられる。この大規模集約型工房は7世紀末頃になると、滋賀など一部に認められるものの解消する方向へと転換し、藤原京や平城京では単一の業種が各所に点在し、平城宮でも例えば馬寮の如く単一の業種に集約されて宮内各所に配置された。ただし、「綜合型工房」と造東大寺司等造寺工房との関係は検討課題として残される。一方8世紀前半に、一国内の群域を超えた工人群を編成し一カ所に集約して大規模な官営工房としたのが長登銅山跡(長門国採銅所)である。こうした方式は地方では、常陸国衙工房である鹿の子C遺跡の様な平安時代の大規模な工房に引き継がれると推測されるが、鹿の子C遺跡の場合、各単位工房の構造は平城宮馬寮工房あるいは飛鳥池遺跡北東岸工房1SX1300などの系譜を引くと思われる。
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