2017 Fiscal Year Annual Research Report
戦後における重度重複障害児教育実践の創成に関する歴史研究とアーカイブ化
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16H03811
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Research Institution | Nara University of Education |
Principal Investigator |
越野 和之 奈良教育大学, 学校教育講座, 教授 (90252824)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
玉村 公二彦 奈良教育大学, 教職開発講座, 教授 (00207234)
中村 隆一 立命館大学, 応用人間科学研究科, 教授 (00469165)
河合 隆平 金沢大学, 学校教育系, 准教授 (40422654)
松島 明日香 滋賀大学, 教育学部, 講師 (50710315)
山崎 由可里 和歌山大学, 教育学部, 教授 (60322210)
中村 尚子 立正大学, 社会福祉学部, 准教授 (70386514)
荒川 智 茨城大学, 教育学部, 教授 (80201903)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | びわこ学園 / 奈良県立七条養護学校 / 国立療養所西奈良病院バンビ病棟 / 京都府立桃山養護学校 / 新宿区立鶴町小学校・牛込第二中学校ひまわり学級 / 重度重複障害教育 / 病弱教育 / 筋ジストロフィー児教育 |
Outline of Annual Research Achievements |
1)重症心身障害児療育、2)病弱教育、3)肢体不自由児教育の領域において映像記録のデジタル化と内容の検証を中心に作業を進めた。 1)びわこ学園の療育記録映画『夜明け前の子どもたち』(1968)の録音テープ100本の音声をデジタル化し、映像とつき合わせながら内容を確認、リストを作成した。 2)奈良県立七条養護学校で1970~1990年代にかけて撮影された入院児童の教育実践の映像記録830件をデジタル化し、暫定的なリストを作成した。国立療養所西奈良病院・重症心身障害児病棟(バンビ病棟)および七条養護学校の設立過程を概観することができた。 3)京都府立桃山養護学校で1970年代から1990年代にかけて撮影された教育実践の映像記録約300件をデジタル化し、暫定的なリストを作成した。新宿区立鶴町小学校・牛込第二中学校ひまわり学級の記録映画『ある特殊学級の記録・「ともだちといっしょ」(前編)・「小さな芽だけど」(後編)』(1971-72)の製作過程で撮影された16ミリフィルムをデジタル化し、内容を検証した。その過程で1960年代半ばより東京都のろう学校幼稚部でろう重複障害児実践に取り組んできた三島敏男氏(故人)に関する記録を収集した。また、NHK大阪放送局製作の『幼年期』(1966.4)および『ゆきちゃん ひろちゃん がんばれ がんばれ-大津市の脳性麻痺へのとりくみ』(1980年)の未使用フィルムをデジタル化し、内容を分析、大津市の乳幼児健診へのボイタ法の導入の経過を検証した。 これらの映像記録が描き出す障害児・病児の実態や教育実践の具体像を戦後障害児教育史に位置づけながら、重度重複障害児教育実践の成立の様相を検討した。その作業経過および研究成果は、学会のラウンドテーブルおよび大学紀要等において発表した。昨年度同様、デジタル化に関わる業者委託や機器調達に研究予算を集中した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度は、筋ジストロフィー児童を中心とする病弱教育実践を中心に行い、養護学校義務制以前の1950年代から70年代前半にかけての重度重複障害教育実践の成立過程をあとづける作業を行った。戦後障害児教育は「教育不可能」とされた重度重複障害児を「教育」対象として発想しながら「学校教育」の内実を形成してきたが、この過程を病弱教育サイドからみることで医療・医学が与えた影響を検証した。映像記録の分析とあわせて学校史や施設史に関する文書の検討も行った。 1950年代に戦後医療の復興の象徴として結核治療が確立を見るなかで国立療養所の結核児童への教育は、ベッドスクールや院内学級の設置、そして病弱養護学校へと発展していった。これを受けて国立療養所結核病棟が1950年代後半から60年代にかけて転換を余儀なくされ、慢性疾患入院児童、筋ジストロフィー児童、さらに重症心身障害児への対応が模索されていく様相を検証した。国立療養所西奈良病院バンビ病棟(1967)および奈良県立七条養護学校(1974)の誕生と変遷は同時代の病弱教育・重度重複障害教育の成立過程をあとづけるものであり、筋ジストロフィー児教育の重要性を啓発する映像記録が数多く製作されていることが明らかとなった。 こうした近畿地方の動きに対して、東京都における希望者全員就学(1974)以前の重度重複障害教育実践の成立の様相をあとづけた。新宿区立鶴巻小学校(1960)・牛込第二中学校(1962)「ひまわり学級」には当初から重度の肢体不自由と知的障害を併せ持つ子どもたちが入学しており、時代とともに障害は重度化していくなかで「肢体不自由特殊学級」から「重複障害特殊学級」へと内実を変容させながら希望者全入を経て、新宿区立新宿養護学校(1978)へと発展していく過程を検証した。
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Strategy for Future Research Activity |
次年度は、映像記録に関する作業を進めつつ、重度重複障害教育実践の成立から養護学校義務制実施へとつながる経路と構造を叙述するための枠組みを検討していく。とりわけ重度重複障害教育が教育方法・技術のレベルで対象化されていき、教育運動にも媒介されながら「学校教育」として社会的承認が形成されていく過程を検討する。 重度重複障害児教育実践の形成に影響を与えた障害児教育学研究と民間障害児教育運動の動向を参照しながら「権利としての障害児教育」の形成過程を検討するために、日本教育学会・課題研究グループおよび日教組障害児教育部の教育研究運動を支えた教師・三島敏男のろう重複教育実践から教育権保障運動への展開過程をあとづける。三島の教育政策分析のなかに、重度重複障害児の就学を可能とする「学校教育」像の形成を読み取る。筋ジス教育が社会問題とされていくなかで、重度重複障害児の教育要求が社会的承認を受けていく過程を検討する。『夜明け前の子どもたち』(1968)や『ぼくのなかの夜と朝』(1971)の監督、柳沢寿男が「福祉映画の柳沢」と呼ばれるように障害者福祉映画を製作していく過程をたどり、重度重複障害問題への関わりとその変容を検討していく。 近畿地方における筋ジストロフィー病棟を中心とした病弱教育の展開を検討するために、国立療養所宇多野病院併設の京都市立鳴滝養護学校での映像記録の収集を終えているが、兵庫県立上野が原養護学校、大阪府立刀根山養護学校等においても調査を行う。また、すでに鳴滝総合支援学校と奈良東養護学校において成果報告をしてきたが、学校関係者とともに、映像記録を共同利用するためのアーカイブ化に向けた検討を進めていく。これらの作業を進めながら研究会での議論を蓄積し、分析枠組みづくりをめざす。議論の経過および研究成果は、学会報告および大学紀要等を通じて発表する。
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