2016 Fiscal Year Research-status Report
中央アジアとインドにおけるアレクサンドロス遠征路の歴史学的地誌学的研究
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16K03127
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Research Institution | Teikyo University |
Principal Investigator |
森谷 公俊 帝京大学, 文学部, 教授 (60183662)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | アレクサンドロス大王 / マケドニア軍 / 古代インド / インダス川 |
Outline of Annual Research Achievements |
紀元前326年から325年にかけての、古代インド(現パキスタン)におけるアレクサンドロス遠征路のうち、タクシラからインダス河口付近までを対象として、遠征経路および主な戦場の実地調査を行った。 前半の概要は次の通りである。①古代タクシラ王国の首都であるタクシラ遺跡で、大王来訪時の遺構を実見した。②現ジェルム河畔におけるポーロス王との会戦場については、陸路で川に接近できる地点が限られるため、両軍の陣地ならびに戦場を特定するには至らなかった。ただし大王の渡河点付近に記念碑が建てられていることが判明した。③マケドニア艦隊が大きな被害を受けた2つのインダス支流の合流点には、ボートで接近し、合流点の様子を間近に見ることができた。④マッロイ人との激戦が行われた地域では、大王が占領した都市の一つと思われるタランバで、大規模な城塞の遺構が手つかずで残っているのを発見した。ただし具体的な年代は確定できない。 後半の概要は次のとおりである。①インダス川の最も南にかかる橋から、川の様子を撮影することができた。乾季のため水量は少なく、雨期に通過した大王軍の様子を思い浮かべるのは難しかった。②ブラフマン族の都市に同定されるマンスラは、大王の側近プトレマイオスが瀕死の重傷を負った地点である。若干の遺構が残るものの、広大な区域に土器の破片が散乱し、全く手つかずで、年代の特定には至らなかった。③インダス河畔のセーワンには小高い丘があり、整然と積まれたレンガの壁が残っていた。遺構はかなり後のものと思われるが、インダス川を下るマケドニア人がこれを見たことは確実と思われ、大王がここに立ち寄った可能性がある。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
パキスタンの政治情勢のため、ムルタンからウチにかけてのインダス中流域における調査は断念せざるを得ず、大王の遠征路に沿ってインダス川を途切れなく下るという当初の計画は修正を余儀なくされた。しかしながら、インダスの2つの支流の合流点を実見し、大王が占領した都市の大規模な遺構を発見するなど、予想以上の成果が得られた。 インダス下流では、ブラフマン族の広大な都市遺跡や、セーワンの丘の遺構がほとんど手つかずで残されていることがわかった。これらの本格的な研究には、パキスタンの考古学者との連携が必要であるが、現状から見てこれはかなり困難と思われる。。 他方で、タクシラの広大な遺跡を巡り、アレクサンドロス以後のガンダーラ美術に直接触れることができた。これは大王の歴史的意義を考察する上で大きな素材となり、今後新たな研究の展開につながる可能性を秘めている。 調査の経路を縮小したこと、発見した遺構の年代特定が今のところ不可能であることは、本研究課題にとって大きな障害である。その一方で、欧米の研究者が立ち入ることのない地域において、大王関連の遺構の実情が判明しただけでも貴重な成果が得られたといえる。またタクシラ遺跡は今後の新たな研究の展開を促しており、将来性を加味すれば、本研究課題の進捗状況は、プラスとマイナスがほぼ均衡していると言える。
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Strategy for Future Research Activity |
2年目はパキスタン北部の山岳地帯における大王の遠征経路をたどり、包囲戦が行われた都市および岩砦の遺跡を調査する。パキスタンの他の地域に比べて北部は危険であったが、最近は政治的に安定しつつあるとの情報もあり、現地の状況を慎重に見極めながら、実施可能な計画を立てる。そのあとラホールから国境を越えてインドに入り、アレクサンドロスが反転を決意した現ベアス川に到達する。これは当初の計画にはなかったが、1年目にラホールを訪れ、そこからインドへ入ることは何ら問題ないことを確認したので、ベアス川までの経路をも調査することとする。 3年目は予定通りウズベキスタン(古代ソグディアナ)における遠征路および戦場の調査を行う。1年目にカラチで雇ったガイドがウズベキスタンに友人を持っており、このツテで安全かつ確実な調査ができる見通しである。
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Causes of Carryover |
ジェルムという都市で調査を終えた日は、ホテルが満室で宿泊できず、やむなくイスラマバードに戻った。このためホテル代が当初の予定より安く済み、余剰が生じた。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
次年度の調査におけるホテル代に充当する。
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