2017 Fiscal Year Research-status Report
中央アジアとインドにおけるアレクサンドロス遠征路の歴史学的地誌学的研究
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16K03127
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Research Institution | Teikyo University |
Principal Investigator |
森谷 公俊 帝京大学, 文学部, 教授 (60183662)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | アレクサンドロス大王 / マケドニア軍 / 古代インド / 古代アオルノス / インダス渡河点 / スワート地方 |
Outline of Annual Research Achievements |
古代インドにおけるアレクサンドロス大王の遠征路のうち、北西部の山岳地帯(現パキスタン北西辺境州)における遠征路を調査し、主要な遠征地点とそれに関連する遺構を実地検分するとともに、アオルノス(現ピールサル)での戦闘状況を復元することができた。次の4項目に分けて整理する。 第1に、大王の側近ヘファイスティオンが攻略したペウケラオティス(現チャルサダ近郊)には大規模な城塞の遺構があり、マッサゲタイ人がマケドニア軍の包囲攻撃を1か月間持ちこたえる勢力があったことを伺わせる。 第2に、スワート渓谷における古代バジラ(現バリコート)には何層にも重なる都市の遺構が発掘されており、すぐそばの岩山からは、都市周辺の地形がきわめて防衛に適していることが確認できた。バジラの北にある古代オラ(現ウデグラム)にはラジャ・ギラ要塞の遺構が残っているが、これは大王の遠征とは無関係の可能性が強い。 第3に、古代アオルノスを現ピールサルに同定したスタインの説に基づいてピールサルへの登山を行い、その地勢が大王伝の記述と一致することを確認した。さらにピールサルの北端、西隣のウーナ山に挟まれた小さな谷に到達し、ここがまさしくマケドニア軍の戦場であることを確認した。すなわち大王はウーナ山の斜面からピールサル側に向けて木材で土壇を建設し、兵士が小さな丘を占拠して、ピールサルの最高地点に立てこもるインド人を降伏に追い込んだのである。ここに逃げ込んだのはバジラの住民であるが、彼らの逃走経路を求めてスワート地方のイラム村を調査し、スワート方面からこの村の付近を通過する峠道が逃走経路であった可能性が浮上した。 第4に、アトックの北にあるスワビが古くからのインダス渡河点であることを確認した。乾季には水が少なく、マケドニア軍の渡河はそれほど困難でなかったと思われる。ここから直進するとタクシラに到達できることがわかった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
3年間の課題のうち、これまでの2年間で現パキスタンにおける調査を終了した。1年目の調査では大王の遠征路に関連する遺構がきわめて少なく、アレクサンドロスの戦争を復元するには不十分であったが、2年目には北西部における主要な戦闘地点を具体的に調査することができた。最も重要なアオルノス(現ピールサル)ではスタイン以来90年ぶりに学術調査を敢行し、スタイン説の正しさを確認するとともに、戦場となった北端の谷に初めて到達して、大王の戦闘状況を具体的に復元することができた。またスワート博物館における地図のパネルに従ってイラム山とイラム村を調査し、ピールサルに立てこもったバジラ住民の避難経路がこの村の付近を通過していたという可能性を想定することができた。これらはスワート川とインダス川にはさまれた山岳地帯において、マケドニア軍と地元住民がどのように対峙し、大王がこの地方をどのように平定したかを具体的に示す成果である。とりわけイラム村の存在はいかなる文献にも表れず、現地の博物館を訪問して初めて知った手がかりであり、住民の避難経路を考察できたことは当初の計画にはなかった貴重な成果であるといえる。
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Strategy for Future Research Activity |
ここまでの研究が順調だったので、最終年度にあたる3年目は予定通り古代ソグディアナ(現ウズベキスタン)における大王遠征路の調査を実施する。実際の遠征とは順序が逆になるが、これはパキスタンの政治情勢を考慮して、パキスタンの調査を先に終えるのが適切と判断した結果である。サマルカンドを拠点として、前328~327年の大王の主な戦闘地点を訪れ、その具体的な経過を復元する。戦闘地点の同定は、ウズベキスタン歴史学界の重鎮であるルトヴェラゼ教授の著書に依拠する。最も重要なのは、ソグディアナ人が立てこもって抵抗した3つの岩砦で、これを一つ一つ調査していく。さらにルトヴェラゼ教授の説に従って、大王の正妻ロクサネの故郷を訪問する。さらにアフガニスタンとの国境にあたるオクソス川(現アムダリヤ川)まで南下し、大王の渡河点を調査する。 以上の調査を通じて、山岳地帯における岩砦攻略戦という、アレクサンドロスの戦争の中でも最も困難で、かつ大王が超人的な精力を発揮した戦闘の具体的な経過を復元する。これは大王の戦争指揮および戦争遂行能力がいかに高度なものであったかを証明するものとなろう。
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Research Products
(2 results)