2017 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
16K03500
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
市川 喜崇 同志社大学, 法学部, 教授 (60250966)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | 地方分権 / 地方六団体 / 地方制度調査会 / アイデアの政治 / 政策コミュニティ / 下位政府 / 第3次行革審 / 自社さ政権 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、分権改革の政治過程の全般的な解明を試みるものである。分析枠組としては「政策コミュニティモデル」に依拠する。理論としては「アイデアの政治」を用い、財界が分権改革を支持した理由の解明に努める。その上で、従来の地方制度調査会とは異なる新たな制度装置である地方分権推進委員会が創設されたことを重視し、その制度設計時が村山・自社さ政権であったことが改革の実現を大きく規定したとの立場を打ち出す。既存の研究とは異なり、これまで挫折を繰り返してきた分権改革の「挫折の構造」を明確に特定することによって、なぜ他の要因ではなく上記の要因が重要であったのかを説得的に主張しようとするものである。 3年間の研究期間の2年目にあたる平成29年度は、初めに、前年度に引き続いて第3次行革審路線の形成過程の把握に努めた。本研究は、第3次行革審路線の独自性を主張し、この路線の中から地方分権というアジェンダが形成されたものと考える。そして、この路線に財界が深くコミットしたこと、その結果、従来であれば地方分権に必ずしも熱心でなかった財界が分権改革の推進勢力となったことが、改革の実現に大きく寄与したとの立場をとっている。 第3次行革審の「ゆとりと豊かさ」路線は、少なくとも1987年10月の自民党総裁選にまで遡ることができる。この中で、竹下・安倍の両候補が「豊かさを実感できる社会」を、宮沢候補が、同趣旨である「生活大国」の実現を掲げている。また、宇野辞任後の1989年の自民党総裁選では、首相となる海部候補がやはり「生活大国」を公約に掲げている。そこで、1990年7月の第3次行革審の発足に至るまでの「ゆとりと豊かさ」路線の形成と展開の過程を、改めて跡付け直した。 次いで、第3次行革審の審議過程を分析し、「ゆとりと豊かさ」路線の中から地方分権というアジェンダが浮上してくる過程を跡付けた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
分権改革に道筋を与えた第3次行革審は、1990年7月に発足し、1993年10月に最終答申を出してその任務を終えている。先行する臨調行革路線とも後の小泉構造改革路線とも大きく異なる第3次行革審の「ゆとりと豊かさ」路線の形成が焦点となるが、この路線の形成は、少なくとも1987年10月の自民党総裁選における主要3候補(竹下・安倍・宮沢候補)の公約にまで遡ることができる。「ゆとりと豊かさ」路線は、数次の内閣をまたいで継続していたこともあって、捕捉すべき期間が長期であり、その形成過程、また性質や規定性などに関して、本研究が依拠する「アイデアの政治」との関連において考察することに、当初の想定以上の時間を費やすこととなり、昨年度に引き続き、この部分に注力せざるをえなかった。 平成29年度は、分権改革の前期の分析を終えたうえで、中期と後期の分析に当たる予定であったが、上記の理由により、前期の分析に当初の想定以上の時間を割くことになり、分権改革の中期と後期、すなわち地方分権推進委員会の創設と委員人選のプロセス、および同委員会の発足(1995年7月)以降の審議過程を中心とした分析については、部分的にしか取り組むことができなかった。
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Strategy for Future Research Activity |
平成28および29年度における研究実績を踏まえて、30年度は、分権改革の中期と後期の分析に当たる。 初めに、地方分権推進委員会(以下「分権委」と略称)の創設と委員人選に至る経緯を分析する。分権委という構想が登場し、それが政府で検討され、設置が決まり、委員の人選が行われるまでのプロセスを検証する。筆者の現時点での理解は、当時の政権が社会党首班の村山内閣であったことが地方自治政策コミュニティにとって有利な制度配置をもたらしたというものである。この暫定的な理解を手がかりに、当時の新聞・雑誌記事、証言、手記などの読み込みや、存命の関係者などへのインタヴュー等の手法を用いつつ、当時の閣僚や族議員らの言動や地方六団体などの諸団体の動向に焦点を当て、分権委の設置と委員の人選に至る過程を追跡・検証する。 次いで、分権委による審議および勧告の作成、分権委と各省庁の交渉、自民党による勧告の受入れ過程、および法案の作成、国会審議過程を分析する。財界と世論の支持、また分権委の創設により、この段階で、分権改革の一定の成功の条件はすでに揃っていた。とはいえ、分権委の設置根拠であった地方分権推進法は、分権改革の数ある課題の中から分権委が何をどう取り上げるべきかについて、必ずしも十分に特定するものではなかった。この点で、分権委は、与えられた項目をただ審議すればよい通常の審議会と異なっていた。そこで、分権委の判断と選択に焦点を当てて分析することにする。首相、省庁、族議員などの動きを踏まえつつ、分権委の判断、およびそれに対する他のアクターの反応をめぐる政治過程を、当時の新聞・雑誌記事、分権委の残した関連資料や委員の証言・手記などをもとに検証し、分析する。
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