2019 Fiscal Year Annual Research Report
Study on the formation and development of the Japan amber beads culture
Project/Area Number |
17H02417
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Research Institution | Hirosaki Gakuin University |
Principal Investigator |
鈴木 克彦 弘前学院大学, 文学部, 研究員 (40569935)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
高橋 浩二 富山大学, 学術研究部人文科学系, 教授 (10322108)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | 琥珀玉 / 古墳時代 / 琥珀玉作技術 / 琥珀玉作遺跡 / ヤマト王権 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の要点は、全国における縄文時代、弥生時代、古墳時代、古代・中世の琥珀玉および琥珀玉文化の形成、発展史に対する実証的な考察にある。その進捗はコロナ禍により琥珀玉の出土地に赴いて実物資料の写真撮影等を遠慮せざるを得ない状態になり調査研究が進展しなかった。 そこでデスクワークに切り替え、琥珀玉を多く出土する古墳時代の古墳、横穴墓などの発掘報告書や文献により全国の琥珀玉地名表の作成や文献の再調査を行った。全国から出土する琥珀玉の原材料である琥珀の供給地として有力な候補地である東北、久慈市周辺に琥珀玉作遺跡が多く存在するが、琥珀玉は主に古墳時代の古墳、横穴墓から出土する。しかし、そういう琥珀玉と岩手県の琥珀産地の琥珀玉作遺跡およびその琥珀玉の形態との関連性が不明な状況にあり、琥珀産地の琥珀玉作遺跡と琥珀玉の形態について年代的に再検討した。 琥珀産地のある岩手県では古墳時代中期の5世紀後葉から6世紀前葉の琥珀玉が最も古く、いずれも岩手県奥州市に所在する中半入、沢田、石田Ⅰ、Ⅱ遺跡である。従来はそれらに対し、琥珀および琥珀玉は久慈市周辺の琥珀産地から奥州市の諸遺跡を経てヤマト王権にもたらされ琥珀玉が下賜されたと考えられてきた。本研究では、そういう単純な一方的交流、流通関係の考察でなく、古墳時代のヤマト王権の部民制により石玉の玉作技術者を抱える王権側が久慈琥珀産地の存在を知り、東北支配の一環として部民制下の玉作技術者を古墳中期前半の中半入遺跡に送り込み、琥珀産地に琥珀玉作技術を伝授し、奥州市の諸遺跡で琥珀を入手し定型琥珀玉を作ってヤマト王権に上納したと考えるに至った。こうして5世紀後葉から6世紀前葉にかけて奥州市の群集墳を擁し東北最古の定型棗玉、未成品が出土する沢田遺跡などが形成されたと考える。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
4: Progress in research has been delayed.
Reason
全国的なコロナウィルスの蔓延により、全国各地で出土している琥珀玉の悉皆調査ができなかった。調査した地域は感染者が少ない東北地方の主に岩手県内の関連古代遺跡にとどまったが、岩手県は琥珀産地でもあり他地域と違い琥珀玉の製作遺跡も多いので琥珀産地における縄文時代から古代、中世までの琥珀玉文化の変遷について研究した。 しかし、我が国の琥珀玉文化は関東地方以西の主に近畿地方など西日本の古墳時代に発展しており、琥珀玉は主に古墳、横穴墓から出土している。そういう地域ではコロナウィルスが蔓延していて調査に赴くことができなかったので、自己評価の区分としては最も低い「遅れている」と評価せざるを得ない。
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Strategy for Future Research Activity |
我が国の琥珀玉文化の中枢(琥珀玉を多く出土する地域)は、古墳時代中期から飛鳥、奈良時代の関東から東海地方の太平洋側、近畿地方および中国地方と九州地方である。琥珀玉はそういう地域の主に古墳、横穴墓から出土しているのでコロナウィルスの収束を待って調査に出かけ資料を観察するほかにないが、当初の研究計画や方法を変更する必要がないので調査研究の基本的なデータ作成と琥珀玉文化の形成史という研究テーマに関する考察をデスクワークで行いたい。しかし、現状ではコロナ禍がますますひどくなっているいる状態なので、臨機応変に研究目的の的を絞って調査研究することも内々に考慮している。 これまで琥珀の産地が限られるため琥珀玉は王権からの下賜や流通の問題として考えられてきたが、むしろ重要なことは琥珀産地と琥珀玉作技術、言い換えると原材料である琥珀の入手(開発)と琥珀玉作(技術)が、古墳時代の部民制の下に行われ石玉を含む「玉作の制」として発展したのではないかと考えられることである。初期の琥珀玉文化の形成を考えると、古墳時代の琥珀玉は棗玉が主体で主に古墳から石玉(碧玉管玉、等)と一緒に副葬品として出土することから、原材料である琥珀の産地における琥珀玉作技術にヤマト王権の殖産興業を推進する部民制の下に石玉を製作する玉作技術者が係わっている可能性を実証的に明らかにしたいと思う。本研究には実物琥珀玉の観察調査が必須なので出来るだけ多く実物資料の写真撮影等を行うよう努力するつもりである。
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