Research Abstract |
水縄山地と筑紫平野を境するほぼ東西に延びる26kmの活断層系である水縄断層系の最新の活動は,日本書紀に記述された天武7年(西暦679年)筑紫地震である(千田ほか,1994)。現在までのトレンチ発掘資料からは十分に解決されていない水縄断層系西部における断層の分布形態について,主として考古学の発掘史料により考えていくことを研究の目的とした。 久留米市教育委員会は,水縄断層系西部の地域で筑後国府等に関連した発掘を行っている。このうち変位をともなう割れ目がみられる遺跡は,64次,113次,116次,132次,159次,202次の発掘による遺跡および神道遺跡である。64次の発掘地点は西上原で,千本杉断層の延長にあたる。弥生時代のピットを南から押しつぶすように変形し,30cm南側隆起(白色シルト質砂が現れている)である。神道遺跡は千本杉断層の通過する場所であり,幅が約7mの割れ目帯が遺構面にみられたが,この割れ目の様子はトレンチでも確認され,それが断層活動によるものであることが確認された。この割れ目は,『日本書紀』に記述された「廣さ二丈」の割れ目に相当するようで,この記述の地点は,他の遺跡での割れ目の様子から,神道遺跡周辺である可能性が大きい。さらに,地層構成や割れ目を充填する堆積物などからは,単純な縦ずれの活動だけでは説明できず,横ずれの活動の可能性が大きいことも示された(千田ほか,2005)。 113次,116次,132次,202次発掘の地点はいずれも雁行状の割れ目がみられ,垂直変位もともなっている。これらは朝妻断層の地表での表現とみられ,今後の調査が期待される。159次発掘地点は前身官衙の大溝の通過する地点であり,ここでも割れ目が分布する。これは東合川断層の延長部にあたり,その地表での表れの可能性がある。 (日本地理学会2007年春季学術大会[於東洋大学]で発表)
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